カラーセラピストのMIYABIです。


「子は親の鏡」


「子は親の鏡」とつぶやいてみて

そうなのよ! 私が育てただけあって
私にそっくりで完璧な子どもなんです!
大満足ですよ!!!


あー、こうやって言ってみたいっショボーン
(あっ、わたしのココロのつぶやきです)


現実は…

なんで? なんで? なんで?
なんでそうなるの〜?

子どもを見てると
ためいきまじりに たくさんの
「も〜う、なんで?」が
口から出てきます…







今日はまず夫の話です。
夫は、やっぱり子どもの親なので
子は夫の鏡 編です!

「テニス🏸 できる?」

「できるよ!」

「ボウリング、できる?」

「できるよ!」

もっと言うと、
「ぼくは何でもできるから!」

「できる!できる!できる!」


私は夫の「できる!」のシャワーを
いっぱい浴びてたので
「できる」人なんだ!!!と思ってました


 わたし、高校時代テニス部🎾
 それでもテニスをしなくなって
 ずいぶんブランクがあるので

 同じように「テニスできる?」って聞かれたら
 「いや、もうそんなにできない」と言います

 同じように「ボウリングできる?」って
 きかれたら…
      大学生のサークル活動で、何かといえば
  交流はボウリングだったので
  しょっちゅうやってました
  ただ、ストライク連発できる訳でもなく
  「いや、ほどほどに…」と言います

そんな私たちがテニスをしたとき
「あれ? できるんだよね?
 打ち合えない…できるって言ったよね?」

夫にそのあたりを聞くと
 一度でもテニスをした経験がある人は
 「テニスができる」ということになる
 そうです。 おーーーっ、そうなるのかびっくり

ボウリングをしたとき…
 なんと、わたしのほうがスコアがよくて
終了してしまった…笑い泣き


えっ…ガーン

わたしのなかの 「できる」
テニスでいえば、コートをはさんで
10回、20回くらいはストロークが続くくらい

ボウリングでいえば、スコアが150くらい

勝手にそのレベルを「できる」というのだと
思ってました。


まずはこの
「できる」にも それぞれの捉え方があった

夫は ハードルを低くく設定してる

私は ハードルを高く設定してる
   完璧にできる状態にないと
   「できる」と言ってはいけない
    いや、そうじゃないと恥ずかしい



そんな夫婦を見て育った子どもは…?


子ども(息子)の不思議と思える言葉を
思い出しました!

それはお稽古事のエレクトーンにまつわること

音楽、芸術って言うのは
感性の世界なので
本来数字で順番がつくものではない世界ですが
コンクールでは 何かしらの基準より
むりやり順位をつけて
上の大会へ進む人が選ばれていくんですね

そんな世界に足を踏み入れてる息子

教室所属全員の中からの大会の前の段階なのに

もう次の先の大会にのぞんでいる
自分の姿をアタマのなかで想定して
話をしている!!!
あたかもそう決まったかのように…

そのことに気づいた私は もうあぜんガーン

最初に気づいたのは小学校4年生のころでした

現実は全然そんなレベルには達してなくて
あくまで その夢をいつかつかむために
がんばろう!という状態だったのに。


なぜそんなに自信まんまん???

これ、夫の…
「ぼくはなんでもできるから!」
 あの言葉の影響が、ここに出てるのか?笑


わたしには全く理解ができない…

何からくる自信なのか?

あまりに当たり前のように発言する
我が家の男たちを通してみると

私は…自信がない人、なんちゃって完璧主義者
に見えてきてしまう…もやもや

たまたま
夫の「できる」の方を受け取って
実践してる息子

自分のできごとの捉え方が
ハードルを低くく設定するので
なんでもできる!と
チャレンジできてるのかもしれない


できる!を前提にして
そこに向かってやっていく

きっと そのほうが 
自分の思いに届くことができる

のではないか…


わたしの夫の「できる」問題の違和感

息子に影響をあたえてる!「できる」と
いう視点で見てみると

モヤモヤが少しずつ
晴れてきてるように感じる

というのが、
今日のセラピストMIYABIの気づきです。

最後までお読みいただきありがとうございました