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なんやろのブログ

自分史+日々の雑感+音楽♪+映画や本の感想など
雑多なテーマで展開中…

基本的関心は家族問題にあり。音楽は癒し系で。

大阪のほうの。

 

(ちなみに実家のほうは意外と「近所」に桜はないかも…「近所」の範囲にもよるけど。家のまわりを歩いてる範囲では、たぶん見えない。街路樹というものがないし、学校や公園などの施設もないから。ちょっと歩いていって川のほうまで行くと、以前にも貼ったことがあるような桜の景色が広がる。K電車からもよく見える。)

 

 

 

2017-3-17  15:51

 

これが…

 

2017-4-3  17:13

 

↑こんな感じになってた。

 

 

トヨクニハウスのほうも…

2017-3-26 (再貼)

 

こないだはまだ全然咲いてなかったけど、もう結構立派に開いてた。

 

 

2017-4-4  18:06

 

2017-4-4  18:05

 

 

 

以下、ツイッターより、大阪の桜関係のものを3つほど。+ツイッターから1つとYouTubeから1つ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おまけ。

 

近所、ということでついでに。(桜ではないけど、3月の、近所で撮ったもの)

 

2017-3-11  15:55 (この記事、830SH「パノラマ撮影」の、これだけや;)

 

2017-3-31  19:19 (画像わるいけど…実物はほんとにきれいに感じられて、時間があれば絵を描きたいと思った。そのための手掛かり的に。でもやっぱり写真がいいな、ちゃんとしたカメラを持ったら同じようなシチュエーションを撮りに来よう。ここの風景は例えばあと10年してもたぶんあまり変わらないだろうから。←非日常的なことが何も起こらなければ。プラス、そう思ってる自分がくたばらなければ。)

もう10年以上周辺をうろついているにもかかわらず(ほんとにごくごく近くを、毎日のように)、まだわりと最近、はじめてじかにその存在を目にした「史跡」。

 

(名所紹介の説明板っていうのもほんと目につくところに複数あって、そのなかに鵺塚(ぬえづか)も入っているので、いつも通っている近くにそういうのがあるんだろうな、ということもずっと前からなんとなく知ってはいたのだが。)

 

先週通りがけに仮撮りした。まずはそれから。

2017-3-28  10:53+10:54

 

 

大阪市都島区:都島区の史跡(相蘇一弘さん監修) の「鵺塚」の項より。

「旧沢上江村(滓上江村とも書く)母恩寺東北の野中に、『平家物語』に見える鵺(ぬえ)を埋めたと伝える塚です。同書によれば、平安末期、近衛天皇を夜ごと悩ませていた怪鳥を源頼政が射落としたところ、頭は猿、胴体は狸、尾は蛇、手足は虎の姿で鳴く声は鵺(トラツグミ)に似ていたといいます。源頼政は摂津源氏源仲政の長男で、保元・平治の乱に功をたて、後に以仁王を奉じて平氏追討を図り、破れて宇治で自殺した人物です。 鵺塚はすでに江戸初期の地誌『芦分船』に紹介され、くり船に入れて淀川に流した鵺の死骸が、下流の浮洲に止まって朽ちた場所だと記しています。鵺塚は兵庫県芦屋市にも 伝承地がありますが、「いづれも論ずるにたらん」(『摂津名所図会』)と江戸期の地誌類は否定的です。」

 

鵺塚そのもの(の御神体と言っていいのか私にはわかりませんが…)は階段(敷地の南側にある)を上ってそのまま真っすぐ奥に設置されてある石塚のようです↓。ちなみに、敷地内にある新しめの案内板のようなものは大阪港の紋章デザインの紹介です。鵺がデザインに使用されているつながりからです。

 

(東側から見たところ。右側に写っている石塚が…)

 

大阪市:大阪港の紋章より。

「大阪港紋章は、1980年、フランスのル・アーブル港との間で姉妹港提携を調印するにあたり、記念に交換する盾やオリジナル記念品のデザインに活用する目的で、最も大阪港を印象づけるのに相応しい図案として誕生しました。 この紋章ができるまでは、大阪市の市章「みおつくし」と船の錨を組み合わせたデザインを単なるマークとして使用していました。 しかしながら、大阪港の国際交流が活発になるにつれて海外諸港との姉妹港提携など交流事業を進めていくうち、「強く大阪港を印象づけるもの」の必要性に迫られるようになりました。ちょうどその頃、初めて本格的な研究著書として世に出された「ヨーロッパの紋章」森護著(三省堂)に出会い、著者である森氏の全面的なご支援を得て、半年にわたるご指導と監修のもと、ようやく完成に至りました。…」

 

twitterより。

 

 

 

2日さかのぼって…

 

これまた都島ネタですが、前にもこのブログで記事にしたことのあるトヨクニハウス。

2017-3-26  14:30

 

映画「ぼく明日」のロケにも使われていた、1932年(昭和7年)竣工の「日本最古の現役RC集合住宅」とも言われている建物。カフェができていて(トヨクニ・コーヒー)、この日は落語会のイベントが。

 

Нет 大阪建築 の「トヨクニハウス」のページ(※リンク)

 

2017-3-26  14:28 桜はまだこんな感じでした。

 

その近所の、ハナニラ?

2017-3-26  14:22

 

2017-3-26  14:19

 

 

さらに3日さかのぼり。

 

大阪市中央区にある大阪倶楽部。(※リンク先はウィキペディア)

 

2017-3-23  14:34+14:36

 

14:37

 

14:38

 

(いわゆるレトロ建築としては有名なところだし、前からちらっとでも撮っときたいと思っていたので、通りがけに「よし、今日こそは」と思ったのですが、よくあることで、電池がほぼなかったため(メモリーもあんまり)、ひとまずこんな感じで仮撮り。)

 

 

こちらは梅田のほうですが、堂島ホテル前も通ったので、記念に。

 

2017-3-23  13:56

 

前にも貼ったことがあるような気がしますが、twitterより、再度。

 

 

 

3月23日(木)は、ヨドバシカメラに寄ったついでに、27日までで撤去されるということで話題になっていたJR大阪駅のアトリウム広場とヨドバシカメラを結ぶ仮設階段あたりのようすもついつい何枚か撮ってしまったのですが(要らんかなぁと思いながら)、また機会があれば貼り足すということにして、ひとまず一枚だけ。

 

(↑左側の上のほう(奥のほう)に、ヨドバシ方面からJRへ上る階段がぼやっと)

 

 

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久々に、ノースゲートビルディング10F和らぎの庭からスカイビル方面の眺めをぱちり。(ここからの眺め、この数年間でたくさん撮ってるねんけど、たぶんほとんど貼りそびれてる。)

2017-3-23  13:38

 

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3/18神戸のもの(そんなにない)はまた別記事にして、この記事はここまで。

 

 

(別ブログにも少し書いたように、4月11日でいったんネット生活が無理になりそうなので、それまでに携帯写真記事をできるだけたくさん作っておきたいと思って気持ちだけ焦っています(笑)。その後は当面、たまにネットカフェから、ということになると思うので、そうなるとこういう写真記事は作れなくなりそうで。今までみたいに、ボロ携帯で撮った写真を日記代わりに貼って…ということができなくなっても、前からここにちらちらと書いているように、それはそれとして、もらったUSBメモリ(まだ使ったことない)を使って、昔自分で焼いた写真群をコンビニのマルチコピー機でスキャンして…という方向の写真記事化をもしかしたら試みるようになるかもしれませんが。でもそれはまだもうちょい先になるかも(それを実行するなら、実家からもってきた大量のネガとも照合させていきたいと思っているのでなかなかそこまでする余裕がなく);)

今年の2月半ばにも携帯で撮って一応残しているものがいくつかあるけど(もらった食べ物の記録とか、もらったサンダル(実家用)の報告用の画像とか)、それはとばして…

 

この記事には、2月26日の大阪市西区の新町南公園で撮ったものから貼ります。

2017-2-26  16:48  公園の北東あたり。写真の左端にあるのが…

 

2017-2-26  16:46  「角藤定憲改良演劇創始之地」の碑。

 

角藤定憲(すどうさだのり)のウィキペディア記事によれば、この人は岡山の士族の家に生まれましたが明治維新で生家が没落、京都で巡査をしている時に取り締まりの対象であった自由民権運動に惹かれて退職、中江兆民創刊の東雲新聞に入社、そこで角藤が連載した自伝小説の上演を兆民に勧められたのをきっかけに、壮士芝居の座長となりました。

 

(ウィキ記事によれば揮毫を頼まれたのは喜多村緑郎(新派の女形俳優)だそうですが、当初はどうだったんでしょう、今はだいぶ文字が判別しにくいように思います。)

 

 

2017-2-26  16:45  (碑の裏側。)

 

 

ちなみに、このブログでは2016年1月に同じ公園の別の碑を撮った携帯写真を貼った記事(記事としては3月半ばの)があります。

 

大阪市西区新町あたりで(2016年1月19日) +OBPイベント(1月21日) 2016-03-14

 

その時には、前から気になってた「ここに砂場ありき」の碑↓(公園の南東のほうにある)をやっと撮った・貼ったということで満足していて、記事にも書いているように、この芝居関係の碑については気づいてませんでした。

 

再貼

(本邦麺類店=砂場そばのお店の発祥の地であることを示す)

 

 

===

2017-3-9  前記事に貼ったのとだいたい同じ場所で信号待ち中、梅が咲いてきてるなと思って。(南森町。天神橋筋商店街と国道1号線(曽根崎通)の交差点。)

 

 

2017-3-9  天神橋の上の歩道(西側)の真ん中あたり(たぶん)のマンホール。

 

 

 

2017-3-9  天満橋のそば、OMM(大阪マーチャンダイズマート)のところにある商業神マーキュリーの像。

 

(前から一度撮っときたいと思ってて、この日の通り際ふと撮る気になったのはよかってんけど…やっぱりわたしの写す道具ではなかなか思うように撮れず。台座が高いしあまり寄れないのもある。)

 

 

神話でおなじみのマーキュリー(メルクリウス、ヘルメス)がゼピュロスに支えられてポージング。

 

像の前にある説明板によれば、これは16世紀イタリアの彫刻家ジャンボローニャ作の「飛び駆けるマーキュリー」(イタリア国立美術館)をもとに昭和47年10月につくられたもので 彫像鋳造はフィレンツェのブルノ ベアルジ。

 

「マーキュリーは商業の神として古くから広く世界の人々に親しまれ、この"飛び駆けるマーキュリー"像はフィレンツェのイタリア国立美術館に所蔵され、日本万国博にも特別出展された逸品である。OMMでは開館3周年を機に、商都大阪の飛躍発展とその国際性と文化性の高揚を念じ 関係各位の協力を得てこれを建立した。」

 

(※OMMは昭和44年(1969年)竣工、1989年にリニューアル。)

 


西洋美術(西洋に限らんけど)に疎いのでこれきっかけでネットで調べるなかでいろいろ見て楽しかったのですが、改めてメモると-

オリジナルのGiambologna (1529-1608)作"Flying Mercury"(飛翔するメルクリウス、天翔けるメルクリウス、…)はフィレンツェのバルジェロ美術館ほかに収蔵(四体あるらしい)。それをもとに、美術修復家の Bruno Bearzi(1894-1983)が鋳造したもの、らしいです。

 


最後に、twitterから。  ※以下は後日、時間のある時に追加予定

 

 

 

2017.3.24(金) 3つほど。

(+ジャンボローニャの像とは直接関係ないけど、LACMA(ロサンゼルス カウンティ美術館)のツイートからNASAのもついでに3つほど。マーキュリーつながりで。)

 

 

 

 

(↑ちなみにこの日の「今日のNASAのニュース」というのは…)