なんやろのブログ

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自分史+日々の雑感+音楽♪+映画や本の感想など
雑多なテーマで展開中…

基本的関心は家族問題にあり。音楽は癒し系で。

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さっき②に追記をして、2020年1月半ば頃までのことについては、一応書いた。

 

デイをやめて少し後くらいから、わたしの普段いる場所(および、そのデイからも)かなり近い場所で、新型コロナウイルス感染者が出た(大阪京橋ライブハウスArc)。

 

コロナ禍の始まりの始まり…。

 

わたしは、少しだけではあったが現場を体験させてもらい、実際に利用者の方々と触れ合ったことで、ますます、介護・福祉の世界への関心を高めていた。

 

でも、いわゆる職場の人間関係の問題と、わたし自身のあまりの知識のなさ、準備不足により、スタート地点でド派手に失敗してしまった。

 

利用者の方々との関わりにおいては、わたし的には、とてもうまく行ったというか、やはり自分は向いているな、という手応えしか残らなかったが、現場の人間関係においては、本当に悲惨なものだった。

 

たった1か月半ほどで、わたしは、何人かの職員から、わたしの50歳までの全人生を、人格を、見事に否定された。日々、とにかく、否定され、攻撃された。この仕事に向いていない、と言われた。(わたしから見れば、同じことを相手に思った。もちろん、言わなかったが。)

 

その時点では、どうしても介護福祉士の資格が取りたい、という考えになっていた。というか、実は、2019年10月に初任者研修を終えてすぐ、同じスクールで2020年2月から本格的なスクーリングが始まる実務者研修に申し込んでいて、その間に思わぬ形で現場に採用されたのだった(2019年12月~)。だから、実務者研修は申し込んだコースを予定通り修了し、あとはその特養で3年以上働きさえすれば、介護福祉士国家試験(いちばん早くて2023年1月の回)の受験資格が得られるやんか!と思って、働いていた。

 

ペーパーテストは元々得意なので、この仕事をやるからには介護福祉士を取りたいな、と思っていたが、受験資格の問題があったので、3年間は現場を経験しなければならない。それが、なんと、1か月半で挫折してしまったのだ…。それも、あなたにはこの仕事は無理!と、門前払いをくらう状況で。

 

介護・福祉の現場で働きたいし、介護福祉士も取りたい。やる気はあるし、年齢は50オーバーだが、おかげさまで心身ともに健康だ。なのに、わたしからすれば「人としてどうなん?」というような現場の人々によって存在を全否定され…、自分なりの手応えと、感謝の気持ちもあったので、清々しい表情でその現場を去ったものの、さて、この先どうすればよいか?と悩み、かなり落ち込んでしまった。もちろん、落ち込むだけではなく、いろいろと、この行き詰まりを抜け出す方法を探り、足掻いた。

 

実務者研修のスクーリングが始まる前だったかな…、ちょうど重なるくらいだったかな…、インターネットで調べる中で知ったのは、介護福祉士国家試験の受験資格を得る方法は、実務者研修+現場3年間ルートだけではなく、介護福祉士養成施設ルートがあり、それだと2年間で受験資格が得られる、ということだった。

 

そして、大阪市内には養成校つまり福祉専門学校がいくつかあり、そのうちの1つは、自分が住んでいるところ(友人と同居しているところ)からとても近い、ということがわかった。

 

わたしが少しだけ勤めていた特養もそうだったが、普段よくそのへんを通っているのに(もう20年近くも…)、情けないことに、その特養のことも、その福祉専門学校のことも、わたしはこれまで全然気づいたことがなかった。

 

ネット地図でわざわざ場所を確認し、実際にその専門学校の前を通ってみて初めて、「こんなところに…これ、学校やったんや!?」と驚いた。

 

そしてこれが2つめの偶然だが、その時期ちょうど学校は、職業訓練(ハロートレーニング)の次年度生徒を募集しているところだった。専門学校の建物の、道路に面したところに、職業訓練生募集のポスターが目につくように掲示されていた。

 

介護福祉士養成校である福祉専門学校を卒業すると2年間で介護福祉士国家試験の受験資格が得られる、ということをインターネットで知ってから、そちらのルートに大きく心が動いていた。(現場でもしまた再就職しても、次も3年どころか数か月ももたずに同じようなパターンで挫折してしまったら、ますます状況が厳しくなりそうやし…。) ただ、自分には雇用保険の受給者資格はないし、普通に入学して卒業するまで、学費を払う余裕なんてない。だから、そのポスターを、たまたま辺りがすっかり暗くなった冬の夕方に見つけた時も、「いいなぁ…、こんな制度があるんやなぁ…、職業訓練生として入学したら授業料は免除されるなんて、羨ましいなぁ…」と、他人事のように、ただその場に立ちつくすことしかできなかった。

 

すると、中から男の人が出てきた。その人のことを、仮にBさんと呼ぼう。

 

(ひとまずここまで)

 

その特養で、施設長ではなかったが、それに次ぐような、重要な管理職的ポジションだったAさん。

 

まず、Aさんとわたしは同じ年齢の独身女性で、家族構成も同じだった。雰囲気や、価値観も少し似ている気がした。(ひとりっ子ならでは、なのかな…)

 

介護・福祉の世界へ入ったきっかけも、似ているところがあった。

 

ひとりっ子だし、今はまだ親に介護は必要ではないけど、いずれは自分しか面倒を見る人がいないのだから、それなのに自分はあまりにも介護について何も知らないから、というような動機。或る年齢まではまったく考えたこともなかった世界だが、知る必要があると感じたからには、どうせなら働いてしまおう、ということになったらしい。

 

Aさんは、前職は教育関係ではなかったが(そういう意味では、わたしが転職する場合のほうが、前職との連続性はまだあるほうかもしれない)、結構な年齢まで、介護・福祉とは無縁な世界で働いておられて、こっちに転職してからは、最初は何もかも新しく、慣れるまでは大変だったらしい。

 

わたしは、意外だなと思いながら(実際そのようなリアクションをとりながら)、聞いていた。

 

①の終わりのほうにも書いたように、当時のわたしのイメージでは、介護職というのは、わたしのような単独主義(実質的には全然そうではなく、相手は精神障がい系ではあるが、結局自分は今でいう「ヤングケアラー」であったのかな…と最近改めて思う)には向いていない、と信じていたところがあった。でも、その介護の業界に途中から「参戦」し、すっかり成功をおさめているAさんは、「こちら寄り」だなと感じたので、わたしの先入観は見事に打ち砕かれてしまった。

 

Aさんは、無邪気にわたしを誘った。介護って、「稼げない」って一般には言われてますけど、ここだけの話、うちはかなりお給料がいいんですよ!! それに、からだも鍛えられますよ!!

 

私(=Aさん)は、前職の時のほうが、不健康でした。介護は、腰を痛めるとか、夜勤なんかもあって体力的にきついなどと言われてますが、うちは給料もいいので、稼いだ分、私は個人的にパーソナルトレーナーをつけて、ジム通いして、食事管理もしてもらっているので(それには、前職の退職金とかも使ったって言ってはったかな…)、体調もすごくいいんです!!

 

…という感じで、見たところ、(多少は盛っていたとしても)嘘でもないのかなぁと思えたし、「だったら、わたしも、やってみようかな」と心が動いた。

 

その日、軽い気持ちで見学を始めたにもかかわらず、施設の全階を詳しく紹介してもらいながら、Aさんにすっかり説得されたわたしは、最後には、採用のための面接のアポを取っていたのだった(笑)。

 

 

(もう少し、追記するかも)

 

 

面接の日がやってきた。

 

履歴書を書いて持っていかなければならなかったが、わたしは、履歴書をあまり真面目に書く気がなかった。

 

その理由というか言い訳のようなものをここに書く気も起らないくらい…、今までも、これからも(いや、それはわからんかな)、わたしは履歴書や職務経歴書を書くのが嫌いだ。

 

もしかしたら、そういう人って、珍しくないのかな? まぁ、理由は人それぞれだろうけど。

 

とはいえ、約束したからには、履歴書持参で面接に行かなければならないので、最低限の、自分的にはかなり手を抜いた履歴書を用意して、軽い気持ちで施設を再訪した。

 

面接は施設長(わたしよりも年下の女性)によって行われた。

 

わたしは、初対面の人と会話をするのが好きなので、ふつうに、自由にやりとりをし、採用された。

 

正社員かパートか、どちらでも好きに選んで、と言われて、驚き、多少迷いはしたが、自分はこれほど軽い気持ちでというか、当時まだ業界のことについてわけもわからないまま(そもそも、特養での勤務時間が、早出、日勤、遅出、夜勤、などという感じでシフトを組まれる、ということすら、あまり想像もついていないくらいだった…)、成り行きでこの状況を迎えているわけだから、いきなり正職なんてありえない、と思い、パートで、と答えた。

 

正職じゃなくて、ほんとにいいの?と、相手は驚いた感じというか、いぶかしそうにしていたように見えたが、はい、ちょっとまだ、(自分に務まるかどうか)よくわからないので、とりあえずパートで…と答えた。相手は、じゃあ、ひとまず最初はパートで試してもらって、行けそうなら正社員に、ということにしようか!と言い、わたしのパート採用が確定した。

 

 

施設長と、Aさんには、ほんとうに良くしてもらったと思う。わたしをどこに配置するかについても、最善を尽くしてくださったのかな、と今でも感謝している。

 

でも、結論から言うと、わたしには、務まらなかった。

 

わたしには、やる気だけはすごくあって、勤務態度は悪くなかったと思う。ただ、あまりにも知らなさ過ぎた。何もかも…。

 

それと、特養のわたしの配属先の現場のメンバーについては、正直、今でも「ありえない」と感じている。それについては具体的には書かないけど、人間性のレベルに問題がある人ばかり(主要3人の女性)だった。ま、向こうは向こうで、わたしについて、同じように思っているのかもしれんけど。

 

というわけで、最後のほうはAさんがわたしを特養に職員として残すために、忙しいなかでかなり動いてくれたにもかかわらず、わたしを受け入れてくれるユニットはなく(早い話が、新人教育をする余裕のある階がどこにもなかった)、施設長との面談により、わたしはデイサービスへ移った。

 

しかし、そこでも同様の結果となり、結局わたしは、特養とデイをあわせて1か月半ほどしか、働かせてもらえなかった。

 

いや、ほんとうに申し訳ないというか情けないというか、残念な結果となってしまったが、それなりのお給料をもらいながら(年末年始をはさんでいたこともあり、わたしはシフトにかなりびっちりと入れられていた)、現場では、ほぼまともに「働いた」とは言えない日々を過ごしてしまった。

 

というのも、特養では、とにかくリーダーに嫌われて、見せしめのように干されながら、いろんな形で当たられ、嫌味を言われ、サンドバッグ状態だったし、デイでは、ほとんど「いじめの標的」に近い感じだったからな…。

 

わたしは、そういう理不尽な対応をされてもそこまで精神的にダメージを受けた感じにはならず、いや、腹は立つし悲しいことは悲しいけど、少なくとも表面上はわりと平然としていて、あるいは、こっちはこっちで「何それ?」と反発心が生じてしまい、逆に強気に出てしまうほどなので、そういう場合の終わり方というのは、向こうに限界が来て、施設長に(嘘も含め)告げ口をし、わたしを解雇させるように動く、という形をとるのだった。

 

わたしには、施設長に弁明する機会は与えられたけれど、もう他にわたしを配置換えする部署もないので、自己都合で退職、という選択しか残されていなかった。(なぜ採用の時に正社員を選ばなかったの…と施設長には言われた。正社員として採用されていたなら、何とかなったのかな?わからんが。)

 

最後に挨拶に行った時の、あのデイ職員の主要メンバーの嬉しそうな顔が忘れられんわ(笑)。

 

(わたしに同情的な人たちは、みんな、悲しそうな顔をして、わたしとは目を合わせてくれなかったな…。もちろんわたしのほうは、すべての人に対して、とてもスッキリした顔で、笑顔で挨拶して回った。ほんとうに、心から本物の感謝の気持ちを込めて。いい体験、いい勉強をさせてもらって、嬉しかったから。)

久しぶりにここに書きに来た。ここでは今何について書きたいかなと思ったら、上に掲げたタイトルになった。

 

一気に書けなければ、ちょっとずつ公開しては追記していく形か、あるいは途中でそれっきりになってしまうか、どうなるかわからんけど(同居人さんがこのPCキーボードのパチパチ音で目覚めたら中断するから)、とりあえず「(この場所に合わせての)自分用メモ」として書き始めよう。

 

カテゴリーは、一応「自分史」で。 (自分史、その後、みたいな感じだが。)

 

 

まずは2019年11月のことから簡単に記そうと思ってるねんけど、そのためには、2019年10月のことにも少しだけ触れなければならない。

 

わたしがちょうど50歳になった時期、わたしは、介護職員初任者研修を修了した。

 

その研修を受けるなかでわたしは何人かの講師の方々および何人かの受講生の方々と出会った。

 

全般的に振り返れば、「出会った」というほどの出会いにはならなかった、つまり、単に「すれ違った」、ということになるのかな?でも、それはまぁ、そんなものなのだろう。

 

そしてその翌月、わたしは妙に人恋しくなったというか、いろいろな人に出会い、リアルで話をしたくなったのか…とにかく、これまで(2010年度からしばらく、つまりわたしのほぼ40代)そういうことができなかったから…、或る区の図書館で定期的におこなわれている読書会に参加したり(参加者は、その地域で暮らしておられる高齢の女性が多かった)、普段よく通っている道に特養があることにふと気づき、見学歓迎の貼り紙を見てその場で施設に連絡し、施設内を見学させてもらったりした。

 

 

いきなり、時間切れかも。(あまりにも序盤なので、とりあえず、タイトルに①を付けとこう。)

 

 

続き。

 

 

特養(老人福祉法で言う「特別養護老人ホーム」、介護保険法では「介護老人福祉施設」)については、それまで聞いたことはあったけど、中に入ったこともなく、どういう人がどのように働いているのかのイメージも乏しく(漠然とはあったものの…実際はどうなのか?)、自分ももう50歳で、介護保険の第2号被保険者になって10年も経つのに、ほんとうに無知だった。

 

母は結局、長年精神的にいろいろとあって(それはもう母のアイデンティティみたいになっている感じ)、母自身しんどいのはしんどいやろうけど、わたしもそれでずーっとしんどかったものの、母はそれを医療や福祉の制度ではなく自分の信仰する宗教で何とかしたい人なので、その年、ついに宗教施設に逃げ込んだ。わたしは、そういうわけで、自分は信者ではないということについて関係者の方々に理解してもらいながら、母のいる宗教施設と、誰も住まなくなった実家(祭壇がある)と、自分の居所(友人と同居)を行ったり来たりしなければならないようになった。でも、或る意味、こうなってからのほうが、物理的に母から解放された。そのことについては、ほんとうに、宗教関係者の方々には感謝している。

 

とはいえ、将来的に、母の意思には反するかもしれないが、特養のお世話にならなければならない可能性もあるし、わたし自身や、友人にだってその可能性はあるわけだから、気づいたタイミングで、何でも知っておくに越したことはない。そんな思いもあったのだろう、たまたま前を通っていた(いつもはそれが何の建物なのか気づきもしていなかった)特養に、或る日、「見学させてください」と申し出たのだった。

 

その時に応対してくれた人が、「すごい偶然だなぁ」と勝手に運命を感じてしまった人だった。その人のことを、仮にAさんと呼ぼう。

 

初任者研修で、久しぶりにリアルにいろんな人と接した時にも感じたことだが、わたしは、この年齢にして、孫はもちろん(早い人ならもう孫がいる年齢だ)、子どももいないし、そもそも産み、育てた経験がない。いわゆる「主婦」経験もなければ、一般的な会社でバリバリ働いていたわけでもなく、そういう意味で、変わっている、と自覚している。というわけで、同世代の女性とは、なかなか話が合わない。雰囲気も合わない。共通点が見出しにくいのだ。

 

一方、介護や福祉の現場では、どういう人が働き手として求められているか?それは、今は一概に言えないと思うから簡単には答えられないけど…、今から2年と5か月くらい前か、その当時のわたしは漠然と、やはり子育て経験があったり、自分の祖父母の介護経験があったり、主婦経験があったりして、自分以外の誰かの生活の世話を日常的にしてきた人、家事が得意で、てきぱき動けて、近所付き合いや親戚付き合いとかにも慣れてて、共同で家事をする経験なんかも豊富な人、つまり、わたしとはまったく反対の人、という先入観を持っていたので、その点ものすごくコンプレックスが強かった。だから、「働く」というのは到底現実的ではない、と思っていた。ただ、まずは社会勉強、という思いと、何にでも好奇心はあるので、とにかく、体験だな、と思ってAさんと会話した。

 

わたしは、一見すごく真面目というかカタいというか、気難しそうに見えるかもしれないけど、いわゆる人見知りをしない、初対面でも全然、昔からの友人みたいに心を開いて楽しく会話をするタイプだし(それが、人によっては、「馴れ馴れしい」とか「上から来る」とか思われてしまうこともあるので気をつけないといかんのだが)、相手が訊いてくれば、わりと何でも正直に自分のことを(一応言葉は選ぶけど)ぺらぺらとしゃべるほうなので、Aさんとも施設内をまわりながら、とてもたくさん話した。意外なほど話が盛り上がったのは、Aさんがコミュニケーション上手、というのもあるだろうけど、Aさんとわたしには驚くほど共通項があったからだった。

 

長くなったので、ここまでを①として、続きは②へ。