天神祭の宵宮・本宮(7/24(月)・7/25(火))とも、わりと近くにいるのに今年もほぼまったくじかには楽しめなかったけど(花火はいつものように部分的には見れたし音もじかに聞いた)、前の週の金曜日、市内を歩いていて少しだけ「祭りの前」のようすを感じることができました。
今日はひとまずその時の携帯写真を6つほど貼ります。(書き足していきたいこともいくつかあるので、それはまた別の日に追記していこうと思っています。)
①
2017-7-21 14:23 銀橋[桜宮橋]にて。(造幣局の東側、大川の岸のあたりには奉納花火の打ち上げ場所のひとつが。ちなみにもうひとつの打ち上げ場所はOAPのところの乗船場の向かい。)
2017-7-21 14:20
②
2017-7-21 14:37 相生楼のところの川端康成生誕之地の碑はそのままみたいだけど、相生楼がこんなことになってて(知らんかった)…びっくり。
2017-7-21 14:39
(この碑については、2014年4月10日に携帯で撮ったものを貼ったつもりでいたのだが、それはまだやったみたい。前のPCのピクチャに置いたままや…相生楼があった頃の「川端康成生誕之地」碑の画像。←それをこっちに持ってこれたら、ここに挿入することにしよう。)
=
以前の画像より(2013年の天神祭の日の相生楼の前)
2013-7-25 (※この3画像を貼った記事は2013年8月15日)
いろいろ事情があるんやろうけど、さびしいな…。
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※時間切れ。ひとまずここまでで公開ボタン。 続き。
ここらへんもしょっちゅう通ってるのに、たぶんこの筋を通ることはあまりなかったのか、あったとしても急いでてまわりを見てないのか…とにかくこの日、工事現場に川端康成生誕之地の碑だけがポツンとあるようすを見て驚き、帰ってからネットで調べました。
「2016年11月7日 - 大阪天満宮そばの料亭「相生楼(あいおいろう)」が閉店し、14階建てのマンションに 建て替えることが分かった。相生楼は江戸時代から創業190年を誇る老舗料亭で、…」(建設ニュースより)
ついでに書くと、相生楼のすぐ近くには安藤忠雄さん設計の上方落語協会の建物があります。これも今まで無意識で通り過ぎていたのか(気づいては忘れ、気づいては忘れ…みたいに)、調べたら2012年からあるらしいのですが、この日はじめて気づいたような気がしました;
2017-7-21 14:41
③
この日撮った携帯写真でここに貼るのは次が最後。
2017-7-21 14:48
撮った場所の位置関係ですが…(Googleマップより↓)
(2016年7月に撮影されたストリートビューらしく、ここにもやはり天神祭の提灯が。)
↑赤○を加えた3か所: 右から、①銀橋、②相生楼のあたり、そして、③ペグマンが立っているところ(天神橋1丁目のうちの、旧天神筋町=天満九丁目あたり?表参道の南端)です。
ところで、最後の携帯写真にも写っている、天神祭のお祭り提灯の文字。
上の、天神筋町の提灯に書かれている漢字(篆書体)がわたしには全くわからなくて気になっていたら、たまたまこの日寄ったOAPに置いてあったパンフレット(天神祭展2017の)に解説がありました。
(OAPタワー1階エントランスでは「天神祭お祭り提灯 大坂町人のおもてなし」の展示があったようなのですが、OAPのトイレを借りる時間しかなくて全然見れず…。)
それによれば、上の携帯写真のなかの、真ん中のほうの提灯(表面)の文字は「聖廟」で、右端のほうに写っている提灯(裏面)の文字は「如在」ということです。
おまけ。
このパンフレットには、大阪天満宮文化研究所研究員の高島幸次さんによる記事「お祭り提灯の文字はなぜ読みにくいのか?」や提灯MAP、そして↑「天神祭 お祭り提灯の字解き」が掲載されています。
字解きの欄には、「今回展示される提灯は、かつての大阪天満宮氏地に飾られていた「お祭り提灯」を再現したものです。現在では、その大半は失われてしまいましたが、藤里好古『大阪夏祭 提燈考』(昭和八年刊)に所収の図を参考に、大阪天満宮門前の「提灯舗かわい」に制作いただきました。」とのことで、1つ1つに解説が。
篆書の知識もないわたしには、正直どちらが「聖廟」でどちらが「如在」なのかわからなかったのですが、「右側が表面、左側が裏面」とのことだし、またかろうじて「在」だけはわかるかなという感覚もあるし、ひとまずスッキリしました。
(ペイントでちょっとお遊び↓)
(どうして如がこのような形に…?ということを素人が考えてみました。)
「聖廟」についても、「聖」はかろうじてわかるとして、「廟」がいちばんわからへん;
















































