3年前の今頃、私もテレビの前から離れられずにいました。


大変なことが起こってしまった。


信じがたい映像を前に、恐ろしさと、不安と


どうしよう・・・何かしないと・・・


いてもたってもいられない気持ちと


でも、何をしたらいいのかわからないのとで


ぐるぐる考えをめぐらせていました。


支援物資、何を送ったらいいの?






原発が水素爆発起こしたと、運転中の車のラジオで聞いて


血の気が引く思いがした。








自分が被災したら?


どうやって逃げる?どこに逃げる?


家族とどうやって連絡取る?




エルゴで(当時1歳の)太郎を抱っこして、ベビーカーに荷物をのせて


歩いて非難場所に行かなきゃ。


指定避難場所の小学校より近いところに非難できそうな場所はない?


旦那さんの職場は海に近い。あんな大津波がきたら


助からない。


助かったとしても、それ以前に


彼は、まず自分の家族より


目の前の利用者さんの非難誘導、ケアにあけくれるであろう。


もしもの時、私たちは○○小学校に居るから。


そんなことを話したり


飲用水や保存食のストックをしてみたり




グリーンコープを介して


暖房着や支援金の寄付をしてみたり。






あの大震災を身近に感じたり


日常で記憶が薄れたり、また思い出したりの3年。


まだ3年?もう3年?


私にはわかりません。


ただ、3年たっても、あの状況の原発。


住み慣れた土地を離れる決意をした人


残る選択をした人





知り合いの宮城出身のママさんのご家族


考えると胸が痛くなったこと。





あんな災害、二度と起こってほしくないけど、


それも私たちには、決められないし、わからない。





ひとつだけ、強く心に思うのは


未来を生きる子どもたちに


安心して、希望を持って生きていけるよう、美しい環境を残したい。


犠牲になった多くの方々の命を無駄にしないためには


何を大事にすべきなのでしょうか。


答えは出ていると、私は思います。