自分が生まれてきた意味が何なのか 真剣に疑問になる時がある

 大多数の人間が存在している理由が解からない 解からないと ストレスが溜まるので 思考を止める

生命が誕生した理由がなんなのか 宇宙がなぜ存在しているのか 理由をなぜ人は求めるのか

不透明なものが どうしても 許せない 知らないこと 解からない事のほうが より フラストレーションが溜まってしまう 

そして 解決できないことも 世の中には五万とある、解からない事への挑戦は可能だが 何かを得て戻ってこれるかは 何も保証などない まして、それが人生の大半を使い 行ったとすれば意味ある結果に終われないことのほうがほとんどだ 

海底に眠る宝を巣もぐりで、取りに行くかのごとく 引き返せずにそのまま死ぬこともある

だからこそ 潜る場所は よく吟味するべきだ しかし 時間は待ってくれはしない

常に 大体この辺だろうと 手探り潜る必要があるのかもしれない 潜れば潜るほど体力は減るが

決められた時間の中で チャレンジしてみなければ あっという間に Time over なのである

理由とゆうものは やっかいだ 聞けば納得するし 聞かなければ不快になる

そして 気になりだしたら理由がわかるまで 気になってしまう傾向の自分がいる

ある意味で,7日で神がこの世を作ったことは正しいのかもしれない

ある程度の定義をしないと人間は思考の沼へと落ち込んでしまい,右往左往してしまうからだ 

真実ではないが 全知全能の神がいることによって 人間の隙間の部分を埋めてくれている

人間は愚かだ そして 不完全であるがゆえに 神という万能な存在を成立させることによって

人間がわからない部分を 説明してくれる 仮想の存在だ 本当にいるわけではないのは 誰でもしっている 

人は解からない 見えない 不透明なものに 恐怖を覚える 

例えば あまり喋らない人間が快く思われない理由は その人が何を考え思考しているのか解からなければ つまりデータが取れなければ 不可解なものとして 存在しそれが 自分に有利な存在なのか不利になる存在なのか 解からないので 恐怖を覚え嫌われるのである

疑心暗鬼という言葉がある これは 深い暗い洞窟をずっとみていれば 鬼が見えてくるのである

その心理から疑心暗鬼という言葉ができた つまり 人間は解からない、暗い所をみていると
自然とよくない発想が芽生え、それが恐怖に変わるのである。

ところがその洞窟にライトをあててみるとどうなるだろう?全てが見渡せ鬼などいない、幽霊もいない、太陽の恩恵を受けて育った生物であるがゆえに闇を嫌うのである。

物理的にも精神的にも不透明な物に恐怖して だからこそ本や体験をしてみて実際にそれが恐怖である存在なのかデータを取り入れ徐々に可視化していくのだ。

大地と空気だけで十分なはずなのになぜ 生命、動物が存在し繁殖を繰り返し半永久的に増殖を繰り返し、朽ちてゆき、本能のままに生き死を恐怖するのか、少なくとも自分にとってその理由を知らずに死ぬのは非常に残念である

ある意味で子供のときに抱いた疑問を持ち続けそれに悩まされるのは愚かで、世渡り上手ではないのかもしれない、しかし不安定な10枚の紙より 強固な1枚を築き上げたほうがいいのではないのか これだけ人間がいるので一人くらいこのような考え方をしても いいのではないか、それぐらい許容できる社会でないとただの、眠れる奴隷と家畜でしかないような気がする、

偏差値基準がうまれた理由もしらずにメリットデメリットを考えずにつきすすむのは 前に人参ぶら下げた馬が走っているようなものである 馬力のパワーは凄まじいが 方向がわかっていないので 思考して進む動物には到底かなわない 釈迦の手のひらで自分が世界一だとわめいている 孫梧空のようなものである
真に愚かである人間は 自分が一人ひとり思考し意見を対立させ 残った異見を取り入れる事こそが 真の近道である そのために 口や言語が存在している 空気をよむとか和を重んじるとか 喧嘩はいけないとか 妄信した倫理観や道徳観 本当に愚かである

なぜこれほどまでに海外にいかないのか、自国で満足といっている人間は好奇心がないのか?
自分が万能だとおもっている瞬間から腐敗が始まっている 視点を変えずに自分の位置が一番などとなぜいえる 10歳の自分と20歳の自分では道徳観はだいぶ変わっているはずだ

それと同じように 国を変えるだけで 見え方がだいぶ変わっていく あるていどの定義をつけて安心 安全 こんなもの存在しない 人間は不安によって全ての思考が始まっている 明日学校へ行かないといけないという不安から 目覚ましをセットし お腹がすいていちいち買いに走らなくても 冷蔵庫に食料を保存しておけば 安心するといった事 不安がなくなることは一切ない

それよりも挑戦したり生きる喜びを味わう事のほうがずっと優れていると想う

ちょっと頭をぶつければ 簡単に人間としての機能を失ってしまい 自分が犯した過ちなど本能にまかせ簡単に忘れてしまい また同じ過ちを繰り返してしまう とても脆く弱い生物なのだ

そんな生物に生まれたからこそ 強くなるのではなく フレキシブルにそして進化していける思考を手に入れることが 一番の武器かもしれない 諸行無常という仏教の教えは 「全てが一切が常がないということ」 変わらない物は 物質的にも精神的にもこの世に何一つないとうことをまず知れと教えている 俺は真の仏教にもなりたい、その偉大な教えのみに帰依するべきだと
常に想っている。

唯一1度きりの人生同じ国 同じ教育だけで終わってなるものか それだけが自分の根底にあり
存在理由を定義づけするにはまだ若すぎるとさえ思っている 

1枚のキャンパス全体を使って 自分の思い描いた絵を描きたいそれだけだ。

余白があるなんてもったいない。 思考する存在だ わからないこともあるしストレスもたまる
しかし それなくして人間としてはありえず 思考なくしては牛のように老い 家畜になってはいけない。 考えてわからなければ寝るだけだ。 

解からなければ解からないほど飛び込むべきだ 挑戦向上失くして同じ位置に留まることできず

苦なくして心の快楽しりえず 塩は舐めたことがなければ 偉大な哲学者だろうが はっきり理解はできない 経験に勝るものなし 口だけの人間が嫌われるのは 現実身がしないからである

要は 飾ばっかり凝った熱のない料理と一緒である

熱がなければ何も伝えられず 料理も言葉もだ 熱で生きている生命 それが人間だから 熱のない絵に感動はしない 。