生きてる。 | TSURUTSURUIPPAI of my life

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いつでも、いっぱいいっぱい。

あれから4年が経った。

 
私が一生住み続けるはずだったあの町が津波にのまれてから、4年。
 
 
あの惨事が起こる、ほんの数年前、
元夫とその両親がやっていた小さな会社が多額の借金で突然潰れ、ただでさえ借家での貧乏暮らしをしていた我々家族は、そこを出て行く他は無かった。
 
小さな子供二人抱えて、
これからどうなるんだろう。
 
頭の中は真っ白になった。
 
人生で最大の惨事だった。
 
私は、何故こんなにも不幸なんだろう。
 
嫁に行ってから、
やっとやっと自分の生き方を見つけたところだった。
 
近所のおじいちゃんおばあちゃん達が、いつしか娘の様に可愛がってくれるようになっていた。同年代の素晴らしい友達もたくさん出来た。
 
家計の足しにするために立ち上げた手作り子供服のネットショップもようやくペースを掴み始め、やり甲斐や手ごたえを感じてきたところだった。
 
それなのに…。
 
 
 
 
不幸中の幸いで、現在の住まいの近くにある、私の実家が我々家族を受け入れてくれた。
 
しかし、元々折り合いの悪かった夫と私の実家。
ごたごたが絶えず、疲弊して行くばかりだった。まだ二歳だった電車好きの次男を連れてホームにいた時、足に力を入れていた。踏ん張らなければ、ふわ~っと吸い込まれてしまいそうだった。
 
 
それからほんの数年後、
私の第二の故郷が、テレビに映った。
まるで模型に勢いよく水を注いでいるかのような、私が一度は生きていくと決めた場所。
 
 
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生まれて初めて海の町に住んだ。
津波など、昔のことだと思って暮らしていた。何の知識も持たず暮らしていた。
 
 
もし、夫の会社が上手くいっていたら?
 
 
あの時間、
まだ子供たちは山の上の学校や幼稚園にいて無事であろう。
 
私はひとり、車で買い物に出ていたかもしれない。
気の利いた物を買うには、海沿いの道路を走って隣町に行くしかなかった。
 
 
地震で車が揺れたら?
車を置いて高台へ避難しようとするのだろうか。果たして地震と津波が私の頭の中で繋がるのだろうか。
 
 
私がお世話になった、大切な人たちが死んでいった。海を知っていながらも亡くなっていった。
 
 
考え方だと言われればそれまでだ。
しかし、私には、
私は生かされた、としか思えないのだ。
 
 
 
 
そして震災により結婚したカップルや、夫婦の絆が深まった人たちも多くいたらしいが、その逆も多かったらしく、我々夫婦はその後者にあたり(笑)夫のモラハラやDVがエキサイトした頃、まさかの借金の残りの請求、ついに旦那はぶっ壊れ(笑)
 
おっと!余談になったかしらね(^▽^;)
 
 
 
 
 
生きてるのだ。
 
生かされてるのだ。
 
逆らえないものに。
 
 
それは空からふんわり降りて、スッと私の身体に入り込んで、私を動かしてる。
 
 
余計なことは考えずに、
 
身を任せてみたい。
 
 
 
 
 
 
 
私は生きていくよ~!って、
 
目を瞑るとそこに現れる、
鮮やかで深い紺色の海に
 
今日も約束します。