唯一?の大好きなテレビ番組、Eテレ100分de名著。
かなり前なんだけけど、ハイデガーの「存在と時間」をやっと見ました。
多分、放送から半年後ぐらい笑
ハイデガーとか名前からして絶対ドイツ系だし、ドイツ人の哲学書とか難しそうと思って放置していましたが、何となく見るかと言う気分になったので見てみました。
感想一言目。
「むずい」
ですwwww
つか、考えすぎ?みたいな?😂(それが哲学だし。アホ丸出しコメント笑)
でもなるほどーと思ったポイントがいくつか。
第2回の「不安からの逃避」に出てくる「世人(せじん)」について。
世人とは、ハイデガーの言葉を翻訳したものなんだけど、要するに周りの空気を読みまくり、世間に同調する人の事。
ハイデガーいわく、自分と言うのを理解する時に2つの可能性があると。
1.本来性 本当の自分、自分らしい自分
2.非本来性 世間の尺度に従って自分を合わせていく
この2の非本来性が世人であるということです。
でも、世人、世間って、誰か特定の人と言う訳ではないので、雲のようなつかめない存在。
なのに人間はいつの間にか「世間的にはこうだ」「みんながやっている」と言う風に責任をその雲のようなものに委ねて判断をしてしまう、と言う事を解説していました。
例えばアート鑑賞に行って、自分には理解不能な抽象画を見た時、「さっぱり分からん」と思うけど、その絵の横に「この絵はピカソの○○と言う作品で、こんな時代背景で、こういった意図で描かれたものです」みたいな説明文があったら、理解できない自分が無勢な気がしてしまい「さすがピカソ。分かる」と言う風になるという説明が分かりやすかった!
世の中のブームとかってほとんどそういう感じかも。
服とかコスメとか買いに行くと決まって
「みんな持ってますよ〜」
「今これが人気で一番売れています」
とか言われるけど、みんなと同じものを選んでいる自分見る目あるな、ぐらいの事思っていた気がするもん😂
その世人がいいとか悪いとかではないけど、悪い方向に傾くと、SNSでの誹謗中傷やいじめなどに繋がると連想すると、確かに・・・と考えさせられる。
じゃあなんで、羊の群れみたいな世人にみんななってしまうのか?
それは人の「不安」から起因しているんだそう。
「恐怖」と「不安」の違いにも言及していて、恐怖は実体のあるものに対しての恐れ(雷が怖い、みたいな)なので対処法がある程度分かるが、不安は実体がないので対処のしようがない、だから多勢に行った方がいいという判断になるのだとか。
人は「不安」を感じるから皆と同じ方を選んで「安心」を得ようとする。
皆と同じは確かに一瞬安全だけど、そこに自分が摂るべき責任が存在していない、それって本当の安心安全なの?と言うのがハイデガーの指摘。
じゃあ、不安を消すにはどうする?と言う問いには
「不安の中で踏みとどまる」という深すぎる答えがありました。
不安の中で踏みとどまるって、勇気がいるなー。
でも、それが自分の選択に責任を持つと言う事なのかもしれない。
日本語では「腹をくくる」とか言いますよね。
要するに、世間的な正解か不正解かどうかを気にするのではなく、自分が選択したんだからどうなってもすべて受け入れる覚悟を決めろ!ってことなんだろうと思いました。
ここは好きなポイントでした。
でも、ハイデガーは存在と時間の出版後、ヒトラー率いるナチスに入党したりと色々迷走して教育界からも追放され、戦後はナチスを指示したことに関しては弁明も謝罪もせず生涯を終えた人だったとか。
うーん、著者の人生も絡めて考えると、本当に深い。
その後、ハイデガーの弟子たちがハイデガーの哲学となぜナチスへ向かったのかと言う関係性を分析したりしていたそう。
その分析や批判も面白かったな。
ハイデガーの理論には、「他者」の介入要素がなかったので「孤立」するしか世人にならない方法はない、と言う翻訳になってしまうと、弟子のアーレントが分析していたのがほほー!っとなった。
まあ、私の頭脳ではハイデガーを全て理解するのは無理でしたがww
実体のない「世間」に人がどれだけ影響されているのか、世間の常識に合わせていった自分を「本当の自分」だと思い込んでいるのか、とか色々な視点や気付きがありました。
自分を貫くって勇気と覚悟がいるよねー。
私も、添加物気にしながら生活してるとか、あんまりリアルに人に言ったことないから立派な世人なんだと思いました。
本来性を出すと孤立してしまうと思い込みもあるかもしれない。
自分のあり方を考えさせられる回となりました。
マルクスの資本論にもつながるものもあったかな。
と言う訳で、ようやく見れたハイデガー存在と時間の話でした。
詳細はここにあります↓
名著118「存在と時間」ハイデガー - 100分de名著 - NHK
ではまた。