生きたお経を

 

昔一休と言われるとても賢い僧侶がいました

 

一休さんを知らない人は少ないかもしれません

 

一休さんが生きている私たちに説いた

面白くて深いエピソードがあるので紹介します

 

    

一休さんが大徳寺にいた頃
近くの檀家さんが亡くなられたので
お経をお願いしますと言われました。

 

その方の家を訪ねると、

亡くなられた方は布団に寝かされて
頭に白い布みたいなものをかけられ
家族や親戚が集まって

しくしくと泣き声が聞こえてきます

 

そこへ一休さんは左手にお経
右手になぜか大きな木槌をもって現れました


木槌は建築業界で「かけや」と呼ばれる
長い柄のついたものです

 

そして、亡くなられた方の前に座ると


「この人にお経を聞く力があるか

試してみよう」


と木槌をふりかぶって

思い切り亡くなられた方の頭を

ガツッと殴りました

 

びっくりした遺族の方々が

唖然としていると


一休さんはとぼけたように


「おーい何か聞こえたか?」


と再び木槌を振り降ろします

 

そしてピクリともしないので


「これは完全に死んでおるわい」


と言ってそのままお経を一文字も読まずに
帰ってしまったそうです

 

一休さんは一体何をしているのでしょうか?

 

それは

みんなが
「お経をあげると死んだ人のためになる」
と誤解しているので


一休さんらしいインパクトのあるやり方で
たとえ周りの人からどんな事をいわれようとも
みんなの間違った仏教の理解を正そうとしたのです

 

というお話

 

ではお釈迦様はなんと説いたでしょう

 

    

お釈迦さま

 

「お経をあげると死んだ人が

浮かばれるという人たちがいるのですが
本当でしょうか?」

 

その質問を聞かれたお釈迦さまは
静かに足もとの石を拾われると

近くの池に放り込まれました

 


「この池の周りで石よ浮かび上がれ

と言って祈れば
あの石は浮かんでくると思うか」

 

 

「いえいえお釈迦さまそんなことで
石が浮かび上がるはずがありません」

 

 

「その通りだ

石は自らの重さで沈んでいったのだ
どんなに周りで浮かび上がれといっても

浮かび上がることはない
それと同じように

死後苦しんでいる人は
その人自身が死ぬまでに造った

業によって決まったものだ
周りでお経をあげたからといって

どうにかなるものではないのだ」
(出典:『中阿含経ちゅうあごんきょう』)

 

お釈迦さまはこのように
読経は死者のためにならないと

教えられているのです

 

聖書もお経も神と先人の教え生きている私たちが魂の創り主を知りその教えを守り生き方を正し肉体を離れ元の場所に無事帰るための教えだったのですね