鳥籠姫のブログ

これは3/14の45号線多賀城付近です。

産業道路は高砂大橋から多賀城方面へは
通行止めが続いていたがこの日から
少し通れるようになっていたが酷いものです。
産業道路は出花から先は通れない。
泥と瓦礫と廃車で道がよく分からない。
日本が終わったような気がした。

道路を塞いでいた車が自衛隊の重機で
両側に寄せられていた。
この時は弟の車で父方の叔父が
多賀城の避難所にいたので
その帰りに撮った物です。


母方の叔母⑤
その時自宅にいて外に行った方がいいかなと
靴を履いたとたんにザーッと雨の様な音がした。
その直後どーっと津波が
玄関の戸を破って入ってきた。
慌てて奥の部屋へ入って
いつもなら足も上がらないはずの
出窓へひょいっと飛び乗った。
猫も追いかけてきて一緒に乗った。
部屋の中にも津波が押し寄せ首まで
水がきたのでなんとかカーテンレールに
つかまっていた。死ぬのかと思った。
幸いにも水は胸辺りにまで引いたので
あたりを見たら部屋のものがいろいろ倒れ
タンスも倒れていたが上になった方は
水の上に出ていたので恐る恐る乗ってみた。
他の家具で固定されたらしく
動かないのでここにいようと。
猫もずぶ濡れだが生きていた。
窓の外は津波の激流だ。
破られたらおしまいだった。
1人と一匹。
日が暮れて寒いし暗いし
眠くなってきたけど寝たら死ぬと思って
耐えていたがどうしても、うとっとしてしまうと
猫がばしゃっと落ちてごぼごぼぎゃおぎゃお
騒いでいる音で目が覚める。
何度かそうしているうちに
猫がどこかに泳いで行ったらしかった。
朝になって呼んでみても声がなかったので
死んだと思った。
水は大分引いて来たが
降りようかどうしようか悩んでいたら
夫が助けに来た。
抱き合って泣いた。
車は小学校から通行止めなので歩いて来たと。
まだドロドロ状態の道路。
長くつでないと歩けないので夫がおんぶするからと。
重いからと断ったがいいからと。
ドロドロの中1km先の学校までおんぶしてもらった。
そこから、自分の実家に車で向かった。

夫は会社から帰ろうにも4号線が
もの凄い渋滞で小学校に着いたのが
9時過ぎでそこから先は通行止めになっていた。
小学校の校庭にも津波が来ていた。
体育館や教室中大声で名前を読んで回った。
娘二人からも『お母さんは?』と何度も
電話が来るのでしまいにはうるさいと言ってしまった。
まんじりともせず夜明けを待って歩いて行くことにした。

実家で服を貰ってソファで寝ていたら
『お義母さん』と言う声が。
よかったーっと泣きはじめた。
なんと二女の旦那さんが自転車で家まで行って
探していたらしく、もしかして実家に
連絡があるかもと寄ったのだ。

次の日家に行ったら猫が生きていた。



叔母⑤は母と似ていてちょっと天然なので
死にかけたというのにけろっとしていて
面白おかしく語るのだが省略しているので
おかしさが伝わらないのが残念。

この後4ヶ月家に一緒に住むことになるのだが
叔父も面白い人なので笑いが絶えなかった。

被災者だからってくらーくなっている人ばかりではない。