そろそろ震災から1年か・・・短かったような気がする。


電気が復旧してすぐに書こうかなと思ったけど、皆書いているだろうなと・・

落ち着いてからと思っていたら1年経とうとしていたのね・・。


私の周りの人の体験 叔母②から


丁度その時叔母の理容店には叔母の同級生がお客さんがいた。

揺れ始めて、すぐに逃げられるようにドアを抑えながらというか

ドアにしがみついたまま向かいの家の瓦が次々と落ちていくのを

呆然と眺めていたそうだ。

揺れが収まった後、ふと手を見ると顔そり用の剃刀を持ったままだった。ぞっとした。

お客さんも髪を切った後だったので、ガスも電気も止まった状態だったけど

水でさっと頭を流してタオルを巻いたまま、自宅が心配と海方面に車で帰っていった。


その後、津波が来たので同級生はどうなったのだろうかとしきりに言っていた。

1ヶ月後再会。

その同級生は家の近くまで津波が来ていたのを見て

家に駆け込んだら母親と嫁は家の中の片付けをしていたそう。

急いでとるものもとらず車に乗せて間一髪で難を逃れた。


叔母の自宅はとても古いのにも関わらず物が倒れただけで済んでいた。

機械音痴なので電話も旧式のままでとてもアナログな生活。

周りは電気ガスが止まっているのに何故か

叔母の家の豆電球は点くのだ。電球はつかないのに・・。


もっと不思議なのは電話が通じるのだ。

こっちから掛けることは出来ないのに向こうからは掛かってくるという

けれどベルの音がとても小さいので気を付けていないと聞き逃すとか。

それで親戚からの安否確認が出来た。

ダイヤル回線って・・ホラー映画みたいだ。


時々土鍋でご飯を炊くそうで、母は炊いたこと無いから解んないと言って

毎日叔母に土鍋でご飯を炊いてもらっていた。

家は都市ガスなので全く使えなかったが叔母の家はプロパンガスなので使えたのだ。

なんだかアナログなほうが役にたっていた。


叔母はどこからそんな情報を仕入れるのかと言うほど情報通で

TVや新聞より早く電気の復旧状況など教えてくれるのだ。

パソコンも携帯も無いのに・・

叔母も叔母の家も不思議である。