毎日目まぐるしく、分単位で状況が変わっている、チュニジアの暴動のさ中、
記録として忘れないようにここに書いておきたいと思います。
いつ、何が起きるか分からないし、私達も安全に居られるかどうか分からないので。
それ以上に、任地の人の事、そしてチュニジアのこれから、も心配ですが。。。
それでは、私の記録を。
任地、ナブールの状況が一転したのは12日水曜日の昼のデモが始まりでした。
火曜日までは何もなく、私も充分出歩ける状態であり、買い物も出来、近所のおじさんたちが少し慌ただしいだけでした。
12日朝、9:30すぎ、緊急連絡網が回ってくる。
状況確認、ナブールはまだこの時点で穏やかだったので、何もないと伝える。
しかし、大規模なデモがあるとのことで、自分で判断し、自宅待機する。
12日昼、外が騒がしくなる。
人々の走る音、叫ぶ声、何かが外であっているのは分かるが、当然外に出て確認など出来ず、部屋の中でじっと耳を澄ませて様子を伺う。
窓を開けると、近所のおじさん達が屋根から覗いていたので、大丈夫だろうと判断し、屋上に上がって私も確認する。
屋上からは細い路地しか見えないが、おじさん達で埋め尽くされていて、慌ただしく叫んだり走ったりしている。
しかし、子どもたちや女の人が後ろで様子を伺っているのが見え、まだ大丈夫なのだと思い部屋へ戻りしっかり施錠する。
12日、夕方になって、初めて銃の音を聴く。
ざわざわしているが、しだいに子どもの声はなくなる。
12日夜、何回も銃声を聴く。すぐ側の任地の大通りで、デモ隊と警察がぶつかっているのが分かる。
テレビもつかず、どんな状況かも確認できないが、ネットのニュースを見て、少しは情報がつかめる。
他の隊員より、夜間の外出禁止令が出たと教えてもらう。夜8時~朝の5時まで出歩いている人には発砲されるとのこと。
他隊員が次の日首都に退避するという話を聞いて、一応自分ももしものために退避できるよう準備をしておく。
念のため早く就寝する。
13日木曜日、朝、一応出勤しようと思い、8:30に家を出る。
大通りに出た瞬間、街の民家以外は黒こげ状態。
国の機関である、郵便局、銀行、スーパー、テレコム、などなどがまだ黒い煙が出ている状態で、内部まで焼け焦げている。
通りも瓦礫などが散乱し、車なども炎上。
それでも状況を確認せねばと職場へ急ぐ。
途中で偶然にも先生達に出会い、状況を説明してもらう。
とにかく幼稚園は閉めたからすぐ帰りなさいとのこと。
デモ、暴動の他に、銀行、スーパーなどで略奪もあった様子。
もうここで、私もすぐに首都に退避せねばと、とにかく公共交通機関を確認しに急ぐ。
幸いまだバスは出ているとのこと。
調整員に連絡。首都に退避の指示を仰ぐが、今事務所の車がないから公共交通機関で自分で避難してくれとのこと。
公共交通機関は危険だが、JICAの車が来ないのなら、もう自分で一刻も早く行くしかないと判断し、家に帰り荷物をまとめる。
昨日のデモが昼からだったので、とにかく昼までに首都へつかねばと焦る。
しかし10:00、大通りでデモが始まる。
焦る。
私の家からバスセンターまで行くのに、もちろん大通りを行かなければならない。
荷物を詰め、急いで行こうとすると、近所の人から止められる。
「もうバスは出ていない!危ないから行くな!」
でも、JICAの車は来ない、私は首都へ行かねばならない、自分の目で確かめねば、とどんどん進む。
次第にバスセンターが見えるが、デモの中心部になっていて、人が100人以上たむろっている。
しかし、時間が経てばたつほど離れられなくなると意を決して進む。
そして、後ろからまた叫ばれる。
「行くな!行くな!! 危ない!!!!!」
迷う。私はここに残るのか!食糧もあまり確保していないなか、暴動がさらに広がり外国人が狙われるかもしれない中、ここに残るのか!
しかし、スーツケースを持って、リュックを背負っている姿は周囲から異様に浮き、
数十人の視線を一身に浴び、これはこれ以上行くと本当に自分の身が危険だと判断し、
しかたなくその場をダッシュで去る。
その後すぐに調整員に電話。
すると車を回してくれるとのこと。
その間発砲の音も聞こえ、人々は騒いでいる。
家の中でとりあえず待機していると、今度は 任地から1時間近くの隊員が、うちの任地まで来て一緒に車に乗り首都に行くとのこと。
会長が送ってくれるからということで了承。
しばらくたつとその隊員から連絡が来て、ルアージュ(乗り合いバス)で向かっているという。
「ルアージュ!?????」と叫ぶ。
ルアージュ乗り場からうちの家まで、この大通りを通らなければ着かない。
やばい、これは本当にやばい、と思い、もうルアージュは出発しているとのことだったので、最悪ルアージュ乗り場に待機してもらっておこうと、また外の様子を確認しに屋上へ行く。
大通りは、もう警察とデモの追いかけっこ。
銃を持って走り回る警察の姿、逃げ回る国民。
一瞬青ざめたが、とにかくチュニジア人の会長が一緒なので中心地から離れている乗り場に居れば少しは安全と思い少し時間が過ぎるのを待つ。
12時、外が静かになる。昼ごはん時期でデモをやめたらしい。
すぐに大通りへ出て周囲を確認する。
が!!!バスセンターから巨大な火の手!
・・・
愕然としたが、この収まっている間に落ち合おうと試みる。
隊員が着いたのが1時すぎ。
とりあえずチュニジア人に従って、大丈夫なところまで歩いて行ってもらう。
問題は、外国人一人の私。
近所の人に話を聴きつつ、本当に10mづつ、逃げ場を確認しながら近づく。
周囲の人の様子も伺い、なるべく暴動に関係なさそうな人に紛れながら近づく。
しかし目立つ。本当に帽子を深く被って顔を隠すがアジア人バレバレ。
でも、このままだとデモが再会して絶対落ち会えなくなると、意を決して道を進んで行った。
中心部の火の手が上がっている所に近づくほど心臓はバクバクしてくる。
隊員と電話で連絡を取りながら、もうすぐ近くにいるというのに、やはり火の手のところは近づけないと聞いたので、
もう一か八かで細い入り組んだ路地に入り、今までで走ったことない位ダッシュして隊員のところへと向かう。
途中で発砲の音がしてきた。デモ再会だ!
逃げる人々が走る程に焦る。
走って走って、やっと隊員を見つける!
早口でチュニジア人の会長にお礼を言い、今度はまた違う道を使って急いで家まで帰る。
無事家まで辿り着きほっと一息。
2時過ぎ、JICAの車が着く。急いで乗り込み首都へ向かった。
途中の街はそんなに荒れてはなかったが、首都へ着くと、中心部でまたデモが起こっているとのこと。
ドミに最初に寄り、みんなの安全を確認。ほっとして、もっと和みたかったが、ナショナルスタッフからめっちゃせかされてホテルへ。
ホテルに着いたら、即買い出し。
店もそんなに開いてないが、開いてる内に買える内に水や食料を買っとかないとと出掛ける。
途中で、「あっちへ行くな。今日は10人打たれて死んだ」と教えてくれるアルジェリア人の旅行客などもいたりして、本当かどうかあやしいが一応耳に入れておく。
その後、大きい通りでバイクに乗った警察に煽られ、またもや心臓がドキっとするほど驚かされる。
そんなこんなでホテルに着き、3人で一息。
夜には、南部からの隊員も3人無事に着き、またもやほっと一息。
13日1日中、ほんと生きた心地がしなかった。
生きた心地っていうか、ほんとこんなに人生の中で死なないように行動したのは初めてだし、
もちろんこんな光景を見たのも初めてだった。
ホテルで色んな情報収集をしたり話したりして遅くに寝たが、やはり寝つけず、結局睡眠時間2時間位で14日、今日起きる。
14日がホテルから外出禁止。
14日も外ではデモがすごかった。特に首都、ここがすごかった。
ホテルの窓からも、黒い煙がもくもくと出ているのが確認できる。
本当にどうなってしまうのか。
14日の夕方、大統領が亡命したと聞き、
ますますどうなるのか、内閣総辞職でこのまま政治はどうなってしまうのか。
その前に、ここから街はどうなるのか、略奪などもあるかもしれない。
まだ、これは私の行動だけであって、そもそものなぜデモが合ったのかなどの背景は書いてないので勘違いさせても悪いなと思うのですが、
これは、政治に不満を持った人たちが起こしたことであって、今、色々暴動が起きてるけど、国が変わった、今変わっているということ自体は早く、良い状態に変わっていってほしいと思う。
がんばってというよりか、今変わらないと変えられない。
そして、任地の人たち、無事かな。。。
またその辺は落ち着いた時に書くとして、
とにかく、今、空港が閉鎖されたかもしれないという情報を聞いて、
国外退避は明日はまだないかもしれない、
けどすぐ違う形で退避になるかもしれない。
まだまだすぐに対応できるよう、準備はしっかりしとかなきゃなと思います。
まだまだ書ききれてない情報もありますが、順次また書こう・・・
とにかく、みんな生きてて、無事でよかった。
自分で判断するということが、こんなにも難しいものかとほんと身を持って体験した。
他の隊員の、もっとひどい体験をした人の話を聞くと、私では絶対対応できなかった、そこで私流れ弾に当たって死んでたかもしれないと思うと、ほんとぞっとします。
とにかく、まだまだ気をつけます。
これ、チュニジアに戻ってこれるのかな?
国振り替え??
このまま居れるか、また戻ってこれるといいけど。。。
明日もどうなるのかな。。。
殴り書きですみませんが、とりあえず書きとめておこうと思って、少し書きとめました。