さて、最初のバンドである。
2008年の年明け頃にネットの募集掲示板で新規結成の記事を見て連絡をとった。ドラマーが募集主で四人揃ったということで、2月の初めに秋葉原のスタジオに入った。

前の年の4月以来のスタジオ入りだったため、すっかり演奏の勘も鈍っており、散々な出来だったが、それ以上に高い音域の声が出なくなっていたのが痛かった。

だが、何よりも衝撃的だったのは募集主のドラマーの演奏だった。
大抵の場合、自分を上手いという人は居ないと思うが、本人が「技術的にはまだまだ」「どちらかといえば下手」と謙遜するレベルをはるかに超えていた。その方は明らかに初心者レベルであった。最低限のリズムキープが出来ない。ドラムパターンが変わると突然テンポが速くなったりする。「曲の構成が覚えられない」ので常にmp3プレーヤーを聴きながらの演奏。だから他のメンバーの演奏は全く聴いていない。こういう調子なので、バンド演奏の態を成さないままであった。たとえ初心者でも、向上心を持って一生懸命練習して上達していけばいいのだが、その方の場合、還暦真近という年齢であり、更に悪いことに、「仕事が忙しい」ため個人練習の時間が確保出来ないということだった。バンドとしてのレベルアップは望めそうに無かった。

このドラマー氏、そんな演奏スキルで一体何がしたいんだろうと思ったが、その点は非常に明確だった。つまるところ、アフターの飲みが主目的だったのである。この人にとって、バンド活動というかドラム演奏はアフターのビールを美味しくいただくためのスポーツの代用であり、バンドメンバー=飲み仲間 ということだった。自分の好みの曲を演奏出来さえすれば、演奏の質はどうでも良いという感じだった。

それでも三回程スタジオ練習を重ね、四回目の練習日の朝、突然Johnパート担当氏から急病で練習を休むとの連絡があり、練習自体が中止となった。そして、そのバンドはそれきりとなった。ドラマー氏がバンド活動が自分の思いどおりにならず、面白くないので辞めたということのようであった。
後で知ったことだが、このドラマー氏は、バンドを組んでは解散させるということを繰り返していたようだった。

ただ、このバンドでは大きな収穫があった。ご一緒したGeorgeパート担当氏とは、その後も幾つかのバンドで組む機会があった。その話はいずれまた。