流産手術から1年

 
 
今日でちょうど、流産の手術をしてから一年経ちました。
 
せっかく一年経ったので、書いてなかったその時のことについて書こうと思います。
 
 
最近は、毎日過ごしながらそろそろそんな時期か〜と感じながらも、
 
あんまり悲観的でないのは今お腹にいてくれる子の存在のお陰だと思います。
 
そして、生まれてくることができなかった1年前、お腹にいた赤ちゃん。にっこり
 
ごめんね。
 
 
5週から鮮血と腹痛が止まらないながらもお腹の中で1ヶ月近く生き続けてくれたけど、
9週の受診で気づいた時には心拍も成長も止まってて一目で受け入れざるを得ませんでした。
 
このまま自然排出を待つか、手術をするか。
 
内診後の診察室で、選択はその場で決めました。
自然排出を選択すれば、いつか大量出血するかもしれない。結局出し切らなくて、手術になる可能性もある。
 
息子もいるし、仮に息子と2人の時に大量出血して焦りたくない。
そして前回の出産で、自宅での大量出血のトラウマがある私は手術一択でした。
 
 
流産したと知ってから、手術したのは5日後のこと。
 
通っていた病院では中絶手術はできず、近隣の中絶手術できる病院に紹介状を出すからそっちにいってとのことでした。
 
その日はとにかく泣いて、
 
でも翌日の朝イチで紹介先の病院に電話したら、今日いまから来てくださいとのことで
 
夫と息子を連れていきました。
 

 

1ミリの希望を持って受診したけど 

 

 
紹介先の病院で内診してもらって、もしかしたら・・・なんて気持ちも1ミリはあったけど、
そこでもやはりだめだった。
 
最短で4日後の手術、そこの病院では1泊2日の入院、全身麻酔での手術になると言われて
遠方の母に連絡、バタバタ仕事を変わってきてくれることになりました。
 
それから手術までの数日はというと、
 
ふとしたときに、ちょっとでも考える時間があるともう涙が溢れて止まりませんでした。
 
やっと妊娠できたのに。
 
なんで・・・ 
 
 
喪失感。
 
 
まさにぽっかり心に穴が空いたような🕳️
 
 
こんなにも悲しくて勝手に涙が出て止まらないのは人生で初めてだったと思います。
 
 
手術の前日に母がきてくれてからは、
少し気が張ってたのか、心配させたくなかったのか、
涙は出ませんでした。
散々LINEでは慰めてくれていたので。
話したら泣くと思って、残念だったね、くらいの話しかしませんでした。
 
前日の夜はお寿司を思い切り食べて、翌日の手術に備えました
 
 

入院・手術当日 

 
まだ5類になる前のコロナ禍ということもあり、総合病院だったので
面会制限や付き添いが厳しく、特に産科病棟は子供は禁止でした。
パパは当日は仕事だったので 母に息子をおまかせして、ひとりでタクシーで向かいました。
 
朝8時に病院病院到着
 
入院手続きを済ませたら、病棟へ上がり、
15時くらいに手術室に案内になると聞かされました。
PCR検査をして、産科外来に呼ばれて内診で最終確認。
最後の赤ちゃんの姿を目に焼き付けたけど、流産の影響で赤ちゃんはすこし収縮していました。
 
それでもこの日までお腹にいてくれてありがとう。
 
いい子だな、という気持ちでした。
 
 
内診のときに子宮口拡張の前処置のバルーンを入れられて、
昼前には心電図の検査、麻酔科の問診を受けて全身麻酔の説明を受けました。
 
そういえば初めての麻酔、それも全身麻酔だから緊張したな。
 
どんな感じなんだろうって・・・
 
病棟に戻りオペ着に着替え、点滴を入れられ、談話室で母や息子とテレビ電話して励ましてもらいながら待つこと数時間。

 

ほぼ時間通りに看護師さんが迎えに来ました。

 

歩いて手術室へ。

 

オペ室に入って確認をして、手術台に上がりました。

 

手術台は電気毛布?あっためられててすごいあったかかった。

 

横になってから、天井をみながらまた涙が溢れてきました。

 

2人のスタッフが両脇から両手を握ってくれて、

 

泣いて大丈夫ですからね

 

と言ってくれてまた涙が止まらなかったです。

 

 

麻酔の説明をされて、今から点滴から眠たくなる薬を入れます。合図したら深く息を吸ってね。

 

といって不安ながらも1・2・3・・・で酸素マスクを被せられながら、ほんとに意識が落ちました

 

 

 

 

 

よく、中絶手術のときって嫌な夢をみる(特に静脈麻酔の時かな?)

と聞くので、どんな怖い夢をみるんだろう。と思っていたけど

 

全く記憶はないです。

 

強いていうなら、目を覚ます前に声が聞こえていて、

周りはよく聞こえないけど、ガヤガヤしているのがわかりました。

 

自分の目の前には黄色い景色が広がっていて、

目を覚ます前に何かみえていたんだろうけど、

 

こんな色の黄色いほわほわ〜〜〜っとした風景が一面に広がっていて、

 

温かい気持ちだったと思います。

 

 

それで目が覚めたらベットに移動させられていて、

オペ室の扉を出るところでした。

運ばれていて、あー無事に終わったんだと。

オペ室の時計が45分というのを確認して、

15分に入室したから、そこから準備や麻酔の時間があって、

ほんとに中絶手術って10〜15分で終わるんだ。

ってびっくりしましたびっくり

 

ちなみに手術は、吸引法でしたおやすみ

掻爬法は、子宮を傷つけてさらなる出血の可能性もあるのでよかったです。

 

終わった後は、とにかく内腿がいたかった…

手術の時の体位が、おそらくいつもの内診のスタイルで更に足が動かないようにがっちり固定されていたと思うので、それで内股に変な圧がかかっていたのか?

筋肉痛のように痛かったです。

 

終わったボーっとしながら家族に無事おわったよーと連絡し、

 

眠りました。

 

夜は麻酔の影響か、丸一日絶食していた反動からかご飯を食べて気持ち悪くなったりしたけど

WBCの練習試合をみたりしながら過ごして、寝ました。

 

産科病棟だけど年配の方も婦人科で入院されていたのか、

夜中は認知者のおばあちゃんの話し声がよく聞こえてあんまり眠れなかった驚き

 

赤ちゃん、もういないんだな。

 

という虚無感はすごかったけど、家族と一緒に過ごしていたら

感情もまた動いていただろうし変な気を張っていたかもしれないし、

 

ひとりで静かな時間を過ごす、

 

この時間は私の気持ちに整理をつける大事な時間だったかなと思います

(全然この後も引きずるんですけどね)

 

 

翌朝内診で空っぽの小さくなった胎嚢を確認、

そして中に残ってないか確認。

 

絨毛検査に出すことをお願いして次は1ヶ月検診と告げられました。

 

旦那に迎えに来てもらって10時ころ退院しました。

 

好きなラーメン屋さんによってラーメンを食べて、スタバを飲んで帰りました看板持ち

 

 

  息子があの時伝えた言葉

 

流産がわかった日、息子を保育園に迎えに行って

 

帰ってきてから大泣きして

 

心配する息子が

 

大丈夫だよ、ままのお腹に戻ってきてくれるから。

 

心配しないで。

 

って伝えてくれた言葉は、この一年ずっと私の支えだったと思います。

 

 

あの言葉を信じて、少しのブランクのあと治療再開して、

 

なかなか来ないな〜、とは思っていたけど

 

前回の子とおなじ 10月に生まれる予定です。

 

もしかしたら、またダメかも。

 

次の検診で、また絶望するかも。

 

いつでもそんな気持ちは持っているけど

 

お腹にいてくれる間はお腹の子を信じていようと思いますハイハイ