4月9日、土曜日。
大好きな祖父が亡くなりました。
92歳でした。
病気が原因で去年からは入院続きの辛い日々でしたが、
91歳、それまでずっとよく食べよく歩き、よく寝る健康なおじいちゃんでした。
生まれた時から一緒にいる。
生まれた時もおじいちゃんだったけど、一緒に年を重ねてもっと深いおじいちゃんになっていく。
思い返すと、時々怒られた記憶があるようなないような・・・孫に甘く、本当に優しいおじいちゃんでした。
基本的に、何も言わない。
私が勝手に写真を撮っても、隣で踊っていても、寝ていても、帽子を被せても耳を触っても。
何も言わないから調子に乗ってどんどんちょっかいを出して(時々嫌がられて)、ただ一緒にいることが幸せでした。
『もっと色々一緒に行けば良かったなぁ』
『もっと色々一緒に食べたかったなぁ』
『もっと色々な変な写真を撮りたかったなぁ』
今になって、いろんな『もっと』『もっと』が溢れて溢れて出てきます。
後悔、とも少し違う感情です。
『孫の結婚と、ひ孫を見せてあげられなくてごめんね。』
これが私の1番の大きな気持ちです。
それは義務でもなく、『ごめん』とは違う、と言うかもしれないけれど、やっぱり私には『ごめん』なのです。
このブログでもおじいちゃんのことを少し書いていました。
もっともっと書いておけば良かったな。
写真はいっぱい撮ってあったけど、ただの毎日を文章にすることでおじいちゃんが生きて、私もそこに居た証になるなぁと思いました。
その数件のブログで、同じような文章を繰り返して言っていました。
おじいちゃんの手をアップで写して、ましゃの『道標』を重ねて残しました。
それほど、この『道標』がもう私にとってもおじいちゃんのテーマソングと言えるほどに聞いて重ねて大事にしていた曲でした。
歌詞の通り、わたしはその手が好きでした。
花を育て、野菜を育て、孫を育て。
もっともっと昔には、長く働き、子どもを育て、おばあちゃんと共に暮らし。
その手を握ることで、どれだけのパワーをもらえたかわかりません。
温かくて、力が強くて、ギュッと握るとちょっと痛い、そんな手でした。
ここ最近撮った写真。
スマホ、カメラ、iPhone、ほとんどをひとつのフォルダにまとめました。
同じようなアングル、同じような場所、同じような表情の写真も多かったです。
でも、特別な日や特別な場所、特別な服装じゃなくても、本当におじいちゃんとの暮らしを思い出す、特別な1枚1枚でした。
ただ、ご飯を食べている。
ただ、寝ている。
ただ、ジャガイモを植えている。
ただ、水をまいている。
ただ、こっちを見ている。
ただ、笑っている。
そういうのを、残しておいてよかったな。
欲を言えば、もっと残しておけばよかったな。
本当に大切なおじいちゃんでした。
いや、過去形にしたくないなぁ。
『本当に大切なおじいちゃんです』。
どうしても、簡潔にまとめられない。
ただ、ずっとどうしたら良いかわからない想いを、長く書いてしまう。。
寂しいなぁ。会いたいなぁ。
もう1度だけでも良いから、会いたいなぁ。
と想いすぎて辛くなるだけだけど、声が届かなくても、いつでも話せるところに来てくれました。
ありがとう。
またね。
わたしは その手が好きです
あなたの笑顔 それは道標
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長くなってしまいました。
こんな話をしてごめんなさい。
ただ、これを飛ばして今後楽しいブログも書けないので、向き合わせていただきました。
ありがとうございました。
