旅行とかで都会に行くと、帰るために出発するときいつも駅のホームで目まぐるしく動く人たちを見てしまいます。
そこにあったかもしれない今とか、その人の今とか、重ねていろんなことを思う。
高校のときに取り寄せた大学の資料とか、その候補にあがった県名とか、もしそこに行っていたら
きっと今とは全く違う今があって。
進む道も趣味も出会った人も考え方も人格さえも変わってしまっていたかもしれないけど。
どんな感じだったのかなぁってことを、それは誰もかも思うかもしれないけど‥
県外に出ることもなかなか無いので、更に強く思う。
でも今、細々とでもいわゆる「ご縁があって」親交がある人たちとか、今すごくハマっていることとかに出会うことは無かったと思うとそれは嫌で寂しいと感じます。
同時に、どこかで出会ったかもしれない人とか、そこで手に入れた新しい興味とかを今も気付かないまま逃していることにも、何かもったいない気がして‥
結局はどちらもお互いの道を見ることができないし、今は今ジャンという結末にしかたどり着かないんだけどね。
ここにいることが逃げだったのか保守だったのか最善だったのかはわからないけど、
結局は今まで通ってきた、小さい決断も大きい決断も選んだ方に今が繋がっていたということにまとまって、これからも後悔とか幸せとか色んなものを通って生きていかなければならんということですね。
当たり前のことだけど文にすると何だか自分に言い聞かせてるような気がして、
長くめんどくさい感じにまとめてみました。
でもやっぱり、今好きなモノや人にはタイミング関係なく出会えた気もする。
例えばあの時代に福山さんのあのCDを買わなくてもいつかの時代で好きになってたやろうし、
自分が好きな友達とか色んな人には、自分から連絡して繋いでいたと思います。
旅行に出て、楽しかったけどやっぱり地元に帰ると
「あぁやっぱり住むのはここが一番だ」
と感じる。
私は都会から田舎に戻るパターンだけど、
逆に田舎に旅行に行って日常無いものに包まれて触れて、楽しい癒された と思っても、やっぱり都会に戻るとその慣れた便利さとかに
「あぁやっぱり住むにはここが一番だ」
と感じるんだと思います。
それぞれですね‥。
都会から故郷の田舎に一時帰省して、「やっぱりこんな場所に住むのは嫌だ」と感じる人もいるし。
自分にとっての「やっぱり‥」を探すために、旅に出たり他を羨んだり嫉んだり憧れたりするんだと思います。
という、長くめんどくさい旅のまとめ。
そうこうしているうちにだんだんと電車は田舎へと戻って行って、
何もない田んぼとか畑とか寂れたビルを見たり知った地名を聞くと落ち着くし、やっぱり私はこれからもここに住んでいくんやなぁ
と感じました。
どうして簡潔に、パッとまとめることができないのでしょうか‥。