
先週、ミャーカが11歳になりました❤️
優しく、健康に育ってくれてありがとうね。
そんな11歳のミャーカを見ていると、
どうしてもあの頃の自分を思い出してしてしまうんですよね。。。。。
目の前のミャーカはこんなに細くて、華奢で、心は傷つきやすい。。。。。。。
11歳の私は、こんな体と心で、あんなことを耐えたんだ。。。。
私は40数年生きてきましたが、11歳からの一年間が、今まで生きてきた中で、一番の人生のどん底だったんです。
25歳で日本を出て、ずっとアジア諸国に住んで。
家がなかったり、お金がなかったり、何度か死にかけたり、流産2回したり、酒に溺れたり、
他にもつらいことは色々、あったんですが。
11歳の時のほうが、もう、ぶっち切りの地獄の日々でしたね。
何が起こったかというと。。。
何日か病気で休んでいた11月のある朝、久しぶりに登校すると、クラスメート全員が誰とも私と口をきいてくれなくなったんです。
ある誤解が原因だったようで、その誤解をとこうと、みんなに近づくと、蜘蛛の子を散らしたように
逃げていくのです。
48人全員から無視されたんです。
ボスのような子たちがいて、掟?を破ったと誤解された私としゃべったら、自分も
仲間外れにされるから、みんな誰も、わたしと喋らない、目を合わせない、近寄らないんです。
いわゆる、村八分ですね。
つらくて泣きそうでしたが、数日したら、この”無視”は止むだろうと、おもっていました。
今日こそは、誰か一人でも喋ってくれるかもしれない、弁明させてくれるかもしれない。
と、期待を抱いて、毎日、なんとか、重い腰を上げて登校するのですが。
女の掟は厳しいのです。。。。
私のいちるの望みはかなわず、ひしゃげた重いランドセルを猫背になりながら、
つぶれそうな心と重い足で、涙をこらえながら、毎日、とぼとぼと家に帰る日々がつづきました。
学校では、授業中、あてられる以外、一切誰とも喋れないし、もちろん誰とも遊べないんです。
休み時間も外に行って、大好きだったドッジボールなど遊びに行くこともできず、
一人で教室に座って、机をじっと見るか、何度も読み返した国語の本を読むふりをするか、窓の外をぼーとみるか、静かな教室で一人、孤独にうちひしがれて座っているしかないんです。
雨や雪がふって、みんなが教室でトランプなどをして、奇声をあげて楽しんでいても、わたしは
机に座って涙をこらえながら、教科書を読むふりなどをしているのです。
そんな惨めな私の姿を指差して、意地悪そうに笑いながらひそひそ話をする女の子たち。。。。。
体育でペアになる運動なども私だけペアを組んでくれる子がいず、
いつも余ります。
三角座りをしながら、下を向いて屈辱に涙がでそうになるのを耐えていました。
とにかく、泣いたらいけない。
とにかく人前で泣いたらいけない。
もし、あの時、誰かが、私の心をツン!と指でつついたら、
つっぷして、嗚咽して、洪水のように涙が全身から溢れたと思います。
周りにはそう見えなくても、それぐらい私は24時間、365日以上、全身で悲しんでいました。
いじめというのは、それぐらい人を傷つけるのです。
ましてや11歳の女の子です。
心も体も弱いんです。
ただでさえ、小学生の一日は長いのに、
私の一日は地獄のように長かったです。
給食の時間は、6人ごとに机をくっつけて、グループで食べるのですが、もちろん
私だけ、一人です。
一度、みかねた担任の先生が、”おーい、あいつもいれてやれ”と、言ったので、
いやいや私の机も合わせて、一緒に食べたのですが。
いつもは楽しそうに食べているのに、その日は、私が加わったことで、
通常は完全無視して、目に入らないようにしてる存在が視界に入ってしまう。。。
みんな心の奥底で感じる罪悪感にイライラするのでしょうか。
楽しくなくなったのは、私が参加したせいだと言わんばかりに、
みんな私のほうを睨みながら食べていました。
私はさらに、いたたまれなくなりました。
つらすぎて、消えてなくなりたかったです。
担任の先生の、気まぐれな一言で、私に対する憎悪を増やしてしまい、大人は余計なことをすると、わたしは先生を恨みました。
そして、次の日からは、私はまた一人で給食を食べ始めました。
先生も今まで通り、見て見ぬふりに戻りました。
そうです、見てみぬふりでいいんです。
助けるつもりがないのなら、中途半端に手をださないでほしかった。
先生に本当に村八分をやめさせる意思があったなら、わたしと女グループのボスだけを
よんで、状況や原因を把握したうえで、話し合いができたと思うんです。
まあ、それも、今になって思うだけで、当時は、家族や大人には何も期待していませんでしたね。
放課後は、もちろん遊ぶ相手もいず、誰かとどこかに行くこともなく。。。
家に帰るだけでした。
今は、家に帰ったら、ユーチューブ、ネット、ゲームなど、気を紛らすものがたくさんありますが。
当時は昭和で、図書館の本と、アニメぐらいしかなかったので、家に帰っても現実と向き合わないといけないので、つらかったですね。
家に帰っても、学校のように、暗いままでした。
なんなら、
家に帰ったら、帰ったらで、マウンティング、暴力こみの八つ当たり。。。。
学校も家も、気の安まるところではなかったですし、心をゆるせる人も皆無でしたね。
でも、この時期から、
早く海外に出たい、と思うようになったので、いじめは、その後の人生の原動力になったかもしれません。
学校での孤独な屈辱の日々に加え、
一人ぼっちで過ごした冬休み、春休み、夏休み、冬休み、そして春休み。。。。。
が過ぎ。
このつらい地獄のような日々は、中学校に入ってやっと終わったのです。
小学生が、一年以上誰とも学校で、話さないというのは、異常な事なんです。
もし、kentoやミャーカが学校でそんなことになっていたら、いくら家で気丈にふるまっていても、
とてつもなく暗い苦しみのオーラをまとっていただろうし、目は暗いだろうし、屈託のない笑顔
なんて、出ないだろうし、私は、絶対に異変にきづくと思います。
存在自体をシカトされる扱いを一年以上子供が受けるのは、毎日みんなからナイフで心臓を刺されるようなぐらい痛いことなんです。
もし大人だったら、そんな職場、そんな村、さっさと離れれるんですが。
逃げ場がない子供だと、悲しいですが、自殺という形で離れてしまう場合があります。
中学校の同級生の男の子がそうでした。
私の中学校はマンモス校で、数校の小学校から生徒が来ているので、私の”村八分身分”のことを知っているクラスメートはいなかったので、私は久しぶりに普通の学生生活を送れていたんです。
もちろん、私はもうこの1年で変わっていました。
女は怖い。
男は弱い。
そして大人も助けてくれない。
友だちはたくさんいましたが、心底、人を信用することはもう出来なかったですし、どこか暗かったですし、楽しいことがあって笑っても、口角は、いがんでいました。
そういえば、
中学校に入った途端、何事もなかったように、話してくる子がいてびっくりしました。
それまでは、みんなと一緒に、わたしの心にナイフで毎日、刺してたのに。。。。
こんな子もいるんだ。。。。
と、不思議でした。。。。
自殺した男の子ですが、
ここでは書けないぐらい壮絶な暴力と金銭の恐喝にあっていたようでした。
いじめていたグループのリーダーの子は中学卒業後すぐにヤクザになったぐらいですから、
とんでもない暴力だったのだと思います。
明るく優しい子でしたが、町で一番高いマンションの屋上から飛び込んでこの世から
離れてしまいました。
この親御さんたちも、彼が亡くなるまで、いじめのことをご存じなかったようです。
息子さんの死を知ったときの親御さんのお気持ち、
想像を絶する辛さだったでしょう。。。。。。。。
日本では、コロナになったことで、地域で村八分にされて、それを苦に自殺された方の話も聞きます。
むかし、上海にいるときに、とても優しい中国人の友達がいました。
その友達は、日本に留学した時、バイト先でいじめられた話を私に、しました。
”しょうがないです。いじめは、日本の文化ですから”
って。
うーーーーん。。。。
否定したかったですが、やっぱりそうかもしれない。(笑)と言ってしまいました。
もちろん、海外にもいじめはあるでしょうが、ちょっとした誤解や掟破りで、長い期間
誰かを村八分にするというのは、少ないんじゃないでしょうか。
中国もそうですが、もっと、個人主義に生きている感じがしますね。
とにかく、いじめの時期につちかわれた絶望感、自己否定感、劣等感、不信感。。。。
は、その後の人生をとても生きづらくします。
私のようなオバさんになっても、例えば、子供の習い事などで、大量の日本人ママさんたちをみると、怖くなるんですよね、緊張してしまいます。💦
愛想よく挨拶したり、優しく笑っていても、何かあったら、どうせ集団で冷たく無視するんでしょ?
っていう、気持ちがやっぱり私の心の中にあるんですよね(笑)
(もちろん私の偏見ですが、)いじめられるかもしれないから、日本人学校や日本の学校には子供はいれたくない、と思ってきましたが、
私がママさん達と付き合うのがいまだに怖いんだと、今日これを書いて気づきました。。。(笑)
最近、私は人生で新しいことを始めて、歩きだしたところなんですが。
その前に。
いまだに思いだすと辛くなる過去の蓋をとって、中に溜まった行き場のなかった辛い感情の澱(オリ)に光を当てて、スッキリ出してから、新しいstartを切りたく、長々と書いてしまいました。。。。
この話が、どこかの誰かの心の琴線にちょっとでもふれられたら、幸いです。😊