努力は苦しい...
それは結果論
目的ではない
手段と目的を取り違えてはいけない
内向的努力
↑
↓
外向的成果
反対のことをしていないか!?
努力は己を鍛えるが、成果は合理的に出さなければならない
いかに鍛錬を積むか!?
いかに少ないエネルギーで大きな成果を出すか!?
こんばんは☆
よみがえれ東洋の魔女第7弾は、努力の矛盾を追求していきたいと思います。
わかりやすい例が筋力トレーニング。
我々は日常生活で無意識に楽な筋肉の使い方をしています。
荷物を持ち上げるとき、わざわざヒジ関節の動きだけで持たないですよね。
重ければ重いほど、ひざの屈伸や腰の動きを使っています。
スポーツも似通っていて、合理的な動きを追求しているんですね。
また空手道の話になってしまいますが、殴る蹴るの空手でさえ、腕や足だけで行う動作ってほとんどないです。
床を押す力(ふくらはぎ、脚)+ひざの絞り(脚)+腰の回転(体幹)+ヒジの押し出し(胸・広背筋・腕)+手の握り(腕)
↑
↓
筋力トレーニング
・部分的に鍛えるものがほとんど
・疲れやすい
・フォームが不自然
・部分的に鍛えるものがほとんど
・疲れやすい
・フォームが不自然
いわば合理性とは正反対のことをしている。
なぜそんなことするのか!?
合理性のみ追求していても、たどり着けない領域があります。
やはり鍛錬も必要。
ただ、格闘技の試合などで筋骨隆々の選手がKO・一本負けしているのを多く観るうちに、筋力トレーニングの「クセ」がしみ込んでいるのではないかと疑問を感じました。
筋トレ=疲れやすい動き方
楽をすることは悪いことじゃないですね。
でも苦しんだからこそ、得られるものがある。