この2日間、ブログの更新が出来ず、申し訳ございませんでした。
というのも、小沢氏の出馬を巡って、伝書鳩が飛んだり、いろんな噂があって、ヤキモキしていたからです。
しかし、それも杞憂に終わり、めでたく談合なく、代表選が行われることになった。
この一連の流れの中、揺るぎなかったのは小沢氏の態度であった。
男、小沢一郎氏は正々堂々の立候補を果たしたのである。
思えば、1年前の政権交代後、国民主導の政治が行われると期待したものの、既得権益者たちの物凄い抵抗、謀略が始まり、鳩山政権は潰され、官僚に操られる菅政権が誕生するという、歯がゆい思いの連続であった。
このようなことが許されるのかという思いもあり、ツイッターやブログを始めた経緯の私にとって、小沢氏は最後の希望であった。
これまでブログを書いていた目的は、偏にマスゴミ、官僚、検察などの既得権益者を批判し、自主独立と国民主導の政治を目指すためであった。
したがって、これからの2週間は、主に実践活動にシフトし、情報発信も即効性のあるツイッターが主体となると思います。
さて、この民主党代表選は、皆さんはご存じだと思いますが、決して権力闘争ではありません。
マスゴミがそういうイメージを作り、且つ枕詞のように「政治とカネ」で批判したいだけです。
このことは、ネット上には沢山、秀逸な文章がありますので、読んでいただければよいかと思います。
私がいつも読んでいるブログで、この何日かで読んだものの中から、いくつか紹介したいと思います。
まず、ジャーナルの二見伸明氏の本日のブログ「マスコミは日本をどうする気か ── 日本を救えるのは誰だ」http://www.the-journal.jp/contents/futami/2010/09/post_25.html
これは、何故日本国民にとって、この代表選で小沢氏が選ばれることが重要なことなのかを判りやすく述べていて、素晴らしい文章である。
8月30日のアメブロの新恭さんの「永田町異聞」は1読者がマスゴミの報道に疑問を持ち、行動を起こしたことが書いてあり、これも興味深く読んだ。
また、「日々坦々」の8月29日のブログ『泣かない小沢一郎(あいつ)が憎らしい』(世川行介著)は必読だ!
これは、この出版を知らなかったので、早速買いに行って、昨日読んだ。
素晴らしい本であり、人間小沢一郎を知る上では最上のものではないだろうか。
また、今までとは違う事実や彼の人柄が出てきて、一気に読める面白さである。
このブログにも引用されているのだが、
まえがきで、この本を上梓した理由を次のように書いている。
≪小沢一郎を社会的に抹殺しようとまで憎む者たちとは、いったい<何者>なのだろう。
そして、それらに立ち向かい、地べたに叩きつけられる度に、泥を払って起き上がり、ファイティングポーズをとり続ける小沢一郎とは、<何者>なのだろう。
さらに、そして、小沢一郎という政治家一人を排斥するために、大量の政治エネルギーがついやされる平成日本とは、いったい、どんな<時代>なのだろう。
その疑問が、本書を書かせた一番の理由だ。≫
さらに、ブログは本の紹介として、羽田氏との場面を引用して、このように書かれている。
特に、羽田元首相が語る小沢一郎は、今までの各々が持っていた小沢さんに対する見方を変えてくれると思う。
同期として40年前に小沢氏とともに田中派の門を叩き、二人で一つだと言われていたくらい、いつも共に行動していたという羽田氏ならではの小沢評が、いくつも散りばめられている。
そんな羽田さんと小沢さんは、政治改革、二大政党制の夢を見続け、それが自民党ではできないと一緒に飛び出し新生党を結成する。
その後、新進党のゴタゴタで二人は袂を分かち、民由合併で再び一緒になり、二人で夢を見続けた政権交代を再び成し遂げる。
その首班指名の時に、鳩山由紀夫に投票するために、小沢さんが黙って身体が不自由になっている羽田さんの手をとり、二人で投票した時の回想には、心うたれた。
小沢さんは、何を言われても、いいわけはしないし、語らない。
それで誤解され曲解されて報道されたり、また側近も忖度しながら、間違った解釈をすることも多い。
この本の冒頭で、現在の状況を羽田さんが語っている、その心情がこの本にずっと流れているので、大変恐縮だが、その一部だけ引用させていただく。
≪毎日、テレビのニュースで、マスコミから袋叩きの「かれ」が、口をへの字に曲げて、ことさらに胸を張って、毅然と立ち向かっている姿を眺めながら、ぼくは、口惜しさに心が張り裂けそうだ。「かれ」は、負けず嫌いで、意地っ張りで、死んでも泣き言なんか口にする男ではないから、誰にも哀しそうな顔は見せないだろう。だけど、きっと、深夜の独りの部屋でだけは、自分に襲いかかってくる禍々(まがまが)しさへの無念を抱きしめているにちがいない。そう思った。そう思うと、「かれ」が不憫でたまらない。≫
投票日まで、私もできることをやっていこうと思う。
日本の夜明けは近いと思っている。
というのも、小沢氏の出馬を巡って、伝書鳩が飛んだり、いろんな噂があって、ヤキモキしていたからです。
しかし、それも杞憂に終わり、めでたく談合なく、代表選が行われることになった。
この一連の流れの中、揺るぎなかったのは小沢氏の態度であった。
男、小沢一郎氏は正々堂々の立候補を果たしたのである。
思えば、1年前の政権交代後、国民主導の政治が行われると期待したものの、既得権益者たちの物凄い抵抗、謀略が始まり、鳩山政権は潰され、官僚に操られる菅政権が誕生するという、歯がゆい思いの連続であった。
このようなことが許されるのかという思いもあり、ツイッターやブログを始めた経緯の私にとって、小沢氏は最後の希望であった。
これまでブログを書いていた目的は、偏にマスゴミ、官僚、検察などの既得権益者を批判し、自主独立と国民主導の政治を目指すためであった。
したがって、これからの2週間は、主に実践活動にシフトし、情報発信も即効性のあるツイッターが主体となると思います。
さて、この民主党代表選は、皆さんはご存じだと思いますが、決して権力闘争ではありません。
マスゴミがそういうイメージを作り、且つ枕詞のように「政治とカネ」で批判したいだけです。
このことは、ネット上には沢山、秀逸な文章がありますので、読んでいただければよいかと思います。
私がいつも読んでいるブログで、この何日かで読んだものの中から、いくつか紹介したいと思います。
まず、ジャーナルの二見伸明氏の本日のブログ「マスコミは日本をどうする気か ── 日本を救えるのは誰だ」http://www.the-journal.jp/contents/futami/2010/09/post_25.html
これは、何故日本国民にとって、この代表選で小沢氏が選ばれることが重要なことなのかを判りやすく述べていて、素晴らしい文章である。
8月30日のアメブロの新恭さんの「永田町異聞」は1読者がマスゴミの報道に疑問を持ち、行動を起こしたことが書いてあり、これも興味深く読んだ。
また、「日々坦々」の8月29日のブログ『泣かない小沢一郎(あいつ)が憎らしい』(世川行介著)は必読だ!
これは、この出版を知らなかったので、早速買いに行って、昨日読んだ。
素晴らしい本であり、人間小沢一郎を知る上では最上のものではないだろうか。
また、今までとは違う事実や彼の人柄が出てきて、一気に読める面白さである。
このブログにも引用されているのだが、
まえがきで、この本を上梓した理由を次のように書いている。
≪小沢一郎を社会的に抹殺しようとまで憎む者たちとは、いったい<何者>なのだろう。
そして、それらに立ち向かい、地べたに叩きつけられる度に、泥を払って起き上がり、ファイティングポーズをとり続ける小沢一郎とは、<何者>なのだろう。
さらに、そして、小沢一郎という政治家一人を排斥するために、大量の政治エネルギーがついやされる平成日本とは、いったい、どんな<時代>なのだろう。
その疑問が、本書を書かせた一番の理由だ。≫
さらに、ブログは本の紹介として、羽田氏との場面を引用して、このように書かれている。
特に、羽田元首相が語る小沢一郎は、今までの各々が持っていた小沢さんに対する見方を変えてくれると思う。
同期として40年前に小沢氏とともに田中派の門を叩き、二人で一つだと言われていたくらい、いつも共に行動していたという羽田氏ならではの小沢評が、いくつも散りばめられている。
そんな羽田さんと小沢さんは、政治改革、二大政党制の夢を見続け、それが自民党ではできないと一緒に飛び出し新生党を結成する。
その後、新進党のゴタゴタで二人は袂を分かち、民由合併で再び一緒になり、二人で夢を見続けた政権交代を再び成し遂げる。
その首班指名の時に、鳩山由紀夫に投票するために、小沢さんが黙って身体が不自由になっている羽田さんの手をとり、二人で投票した時の回想には、心うたれた。
小沢さんは、何を言われても、いいわけはしないし、語らない。
それで誤解され曲解されて報道されたり、また側近も忖度しながら、間違った解釈をすることも多い。
この本の冒頭で、現在の状況を羽田さんが語っている、その心情がこの本にずっと流れているので、大変恐縮だが、その一部だけ引用させていただく。
≪毎日、テレビのニュースで、マスコミから袋叩きの「かれ」が、口をへの字に曲げて、ことさらに胸を張って、毅然と立ち向かっている姿を眺めながら、ぼくは、口惜しさに心が張り裂けそうだ。「かれ」は、負けず嫌いで、意地っ張りで、死んでも泣き言なんか口にする男ではないから、誰にも哀しそうな顔は見せないだろう。だけど、きっと、深夜の独りの部屋でだけは、自分に襲いかかってくる禍々(まがまが)しさへの無念を抱きしめているにちがいない。そう思った。そう思うと、「かれ」が不憫でたまらない。≫
投票日まで、私もできることをやっていこうと思う。
日本の夜明けは近いと思っている。