あまりにも超大作になりそうで、発症時や入院中の話とか

書いてなかったんですが、書く事にしましたひらめき電球


すごい過去にさかのぼりますUFO

私は幼稚園の年長の時に父を亡くしました。父は死ぬちょうど

1年前から入院をし、母は1年間毎日病院通いを続けました。


当然母はほとんど家に帰ってこれません。まだ幼かった私は

寂しくて寂しくてたまりませんでした。。

父の葬儀の時「これでお母さん帰ってきてくれる」と皆の前で言い

参列者の涙を誘いました汗


父の死後すぐ1週間後位から、それまで専業主婦だった母は働きに

出ました。ただただ、ひたすら働き続け、兄と私2人共を大学まで

卒業させてくれました。。


でも、すごく当時は寂しくて寂しくて、毎日寂しいばっかり言ってました。

いつの間にか、ひねくれてきて寂しいなんて絶対言わない子供に

なりました。。そして、、毎日の様に母宛に偽名を使って

「寂しい」と書いた手紙を書くようになりました。まぁ私からって事は

バレバレですけど、、、ショック!


放課後友達の家に行ったりして、友達のお母さんが手作りのお菓子を

出してくれたりして、、、、そんな事がすっごく羨ましかったんです。

きっと私も将来結婚して子供ができたらお菓子とか作って、そして

子供が「ただいま~」と帰ってきたら「おかえり~」と言って迎えて

あげる、、、、そんな平凡な事が私の夢となりました。。


そんな小学生活を送り、小学校5年生になりました。当時学校では

交換日記が流行ってたので、働き続けてる母と、私は交換日記

をする事にしました。


私は1型糖尿病をいつ発症したのかわかりません。ただはっきりと

自分の体がおかしいと自覚したのが85年の8月1日でした。


でも、発症した日や入院した日を特別な日だと感じた事はなく

日にちも忘れてました。。昨年ブログを始めるにあたってアルバム

とかを見て知りました。


85年の8月1日に私は同級生と林間学校に行っていたのです。

山登りや飯盒炊飯などをして。。。。でも体がしんどくて、しんどくて

喉が渇いて仕方ありません。。当時の写真を見ると、この時まだ

かなり太ってたので、発症してすぐだったかと思います。


帰ってきてからも、どんどん体調は悪くなる一方、、、。

お盆に親戚の家に泊まりに行ったのですが、家のお茶を一人で

全部飲んでしまい怒られました。いつもは親戚と野球したりして

遊びまくるんですが、動けません。親戚の家で寝ながらずっと

TVを見てました。この日は85年の8月12日でした。

そう、日航機墜落事故のあった日です。

私は今でもあの事故の映像を見るたびに、起き上がれなかった

自分を思い出します。。


その後の夏休中もプールとか行くんですが、吐いてしまったり・・・


この8月の母との交換日記の内容は「しんどい」と「痩せてきた」

ばっかりでした。。


9月になり学校が始まったけど、行くのに精一杯の状態です。

休まず行ってたのかも記憶にありません。

そしてついに、耐えきれなくなり近所の内科に行く事にしました。

この病院は普通の町医者で女医さんですが、名医で有名です。


「喉が渇いて仕方なくて、トイレばっかり行って、痩せてきた」

と言うとすぐに「検査しましょう」と言われ、すごく甘い微炭酸風の

飲み物を飲み、その後5、6回ほど採血をしました。

そして、紹介状を書くので明日すぐ大きい病院に行く様言われました。


この時、担当してくれた看護士さんが「これから大変だけど頑張るのよ」

と私に言いました。あの時の看護士さんの顔が今でも忘れられません。


この日まで、しんどいながらも歩いたりできてたのに、翌日とうとう

立てなくなりました。でも、紹介状も貰ったし病院に行かねば

なりません。家からほんの、10分ほどの距離の市民病院に

なんとか行きました。でも待合室でも起きれず、寝させてもらって

ました。。診察結果、この病院にはこの病気を見れる医者が

いないので別の病院に行って貰うよう紹介状を書きますと

言われました。内心意識朦朧ですから「またかよ~」状態です。


そしてそのまま今度はタクシーで15分ほどの病院へ行きました。

タクシーの中でも何度も吐き、記憶がほとんどありません。。


そして病院に着きました。

この病院こそが私が入院する事になった子供病院でした。。。

阪神タイガースの優勝が秒読みになってきた85年の9月21日

私の入院生活が始まりました・・・・


当時身長164センチで65キロ前後あった体重がこの時

38キロになっていました。。。。


つづく・・・・・

すんごい長文失礼しました。。まだまだ続きまっせ~にひひ

すぐ更新しますからビックリマーク