宮城まり子 さん

宮城 まり子(みやぎ まりこ)
 本名:本目 眞理子(ほんめ まりこ)

1927年3月21日生まれ、
2020年3月21日、93歳没。

東京府蒲田(現:東京都大田区)生まれの
歌手、女優、映画監督、福祉事業家(福祉事業家)、クリスチャン(キリスト教徒)。

勲等は瑞宝小綬章(旧勲四等)。

位階は従五位。

1950年2月、テイチクから「なやましブギ」でデビュー。

ポリドールを経て、
ビクター移籍第二弾「あんたほんとに凄いわね」が初ヒット。

1953年、レコードで歌った「毒消しゃいらんかね」が流行し、一躍歌手としてその名が知れ渡った。

1955年、後のレコード大賞作詞家・宮川哲夫の手による「ガード下の靴みがき」も大ヒット。

その後も「納豆うりの唄」「てんてん娘」「夕刊小僧」などヒットを連発。

弟八郎は宮城秀雄の名前で作曲家として活躍。

NHK紅白歌合戦にも
1954年の第5回から1958年の第9回までと、
1960年の第11回から1962年の第13回までの計8回出場。

1958年、日本初のカラー長編アニメ映画『白蛇伝』で声優を務めた。

1958年公開、日本最初のカラー長編漫画映画(アニメ映画) 『白蛇伝』(東映)
 東映動画の第一作。



東映ビデオ さんが 2019/06/12 に公開
10月9日(水)発売「白蛇伝 Blu-ray BOX」 デジタルリマスター 検証映像

https://youtu.be/QMwT4vc-qAg

その後、女優業に進出し、
1958年、『12月のあいつ』で芸術祭賞、
1959年、『まり子自叙伝』でテアトロン賞を受賞。

1968年、肢体不自由児(身体障害者)・孤児・拒食症(精神疾患者)などの救済・支援を行う日本初の民間(私立)社会福祉施設である
ねむの木学園 (入所者は10歳~70歳、職員数2人~最大180人)を1人だけで様々な苦労の末に3年かけて設立した(日本のマザー・テレサ)。

2020年3月21日、悪性リンパ腫のため東京都内の病院で死去。
93歳没。
 生没同日だった。

宮城まり子が死んだあと、明仁天皇は叙従五位の位階(身分)を与えた。

SBSnews6 さんが 2021/03/18 に公開
宮城まり子美術展 オープニングセレモニー(静岡県)

https://youtu.be/p-QYGRs57fQ

宮城まり子 NHK人物録

ねむの木学園



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