シャロン・テート さん

シャロン・マリー・テート(Sharon Marie Tate)

1943年1月24日生まれ、
1969年8月9日、満26歳没。

アメリカ合衆国テキサス州ダラス生まれのモデル、女優。

映画監督 ロマン・ポランスキー の妻で妊娠中だったが、
1969年に自宅で友人たちとともに狂信的なカルト信者らに刺され、
26歳で母子ともに亡くなったことで知られる。

代表作:『吸血鬼』

父親が軍人だったため、子ども時代は世界各地を転々とする。

高校生の頃にはイタリアに居住しており、現地で数本の映画にエキストラとして出演。

その後CMに出演したほか、モデルとしても活動。

ハリウッドに渡り、
映画 『卑怯者の勲章』(1964年)などに端役で登場。

人気TVシリーズ 『じゃじゃ馬億万長者』 でブレイクし、
1966年の 『Eye of the Devil』(原題)で本格的なスクリーンデビューを飾る。

1967年公開、
ロマン・ポランスキーのドラキュラもののパロディ映画
『吸血鬼』(The Fearless Vampire Killers, 原題: Dance of the Vampires)
 ポランスキー夫人で、狂信的カルト指導者チャールズ・マンソンに殺された シャロン・テート の最後の作品。



Danios12345さんが 2010/03/03 にアップロード
The Fearless Vampire Killers (1967) Trailer

http://youtu.be/F8Ciz1G_Zm0

映画 『吸血鬼』 で共演したのが縁で1968年1月20日に映画監督の ロマン・ポランスキー と結婚。

同年にはブルース・リー監修のもとでアクションにトライした 『サイレンサー第4弾/破壊部隊』 が公開。

ポランスキーとの第1子妊娠も分かり、私生活、女優としてのキャリアともに順風満帆だったが、
翌1969年8月9日、
狂信的カルト指導者 チャールズ・マンソン の信奉者達の一人、スーザン・アトキンスら3人組によって、
一緒にいた他の3名の友人達と、
たまたま通りがかって犯行グループに声を掛けた1名と共にロサンゼルスの自宅で殺害された。

マンソンはシャロンの前にその家に住んでいたテリー・メルチャーが、
マンソンの音楽をメジャーデビューさせられなかったことを恨みに思っていた。

当時シャロンは妊娠8か月で、襲撃を受けた際に
「子供だけでも助けて」と哀願したというが、
それが仇となりアトキンスらにナイフで計16箇所を刺されて惨殺された。

ポランスキーは、生まれることなく死んだわが子にテートと自らの父の名を取ってポール・リチャードと名付け、
テートとともに埋葬した。

事件の10年後、彼女の母親ドリス・テートは殺害犯がカルト的信奉を得、仮釈放の可能性が生じたことを嫌悪し、
殺害犯の釈放反対運動に参加。
彼女の運動は公の注目となり、
州法修正システムへの批判は1982年のカリフォルニア州刑法修正に結びついた。
これらの修正で犯罪被害者とその家族が、判決および仮釈放審問において陳述を行うことが可能となった。
彼女は新法の下、娘の殺害犯チャールズ・マンソンの仮釈放審問において陳述を行った最初の人物となった。

テート殺害実行犯の主犯スーザン・アトキンスは、1971年に死刑判決が下ったが、
カリフォルニア州の死刑一時撤廃に伴い、
マンソンらとともに終身刑に減刑され、
2009年9月24日に同州の刑務所で脳腫瘍のため獄中死。
マンソンはその後も服役したが、
2017年11月19日に死亡。

26Moviefreak さんが 2012/04/14 に公開
sharon marie tate

http://youtu.be/fpsTZUHHKe0

JenHaydenC さんが 2010/11/27 に公開
Sharon Tate Tribute - Just The Way You Are

http://youtu.be/WSMIPFoAgFQ

シャロン・テート 映画.com

シャロン・テート(Sharon Tate) allcinema

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