アンリ・マティス さん
アンリ・マティス(アンリ・マチス、フランス語: Henri Matisse)
1869年12月31日生まれ、
1954年11月3日、84歳没。
フランス ノール県ル・カトー=カンブレジ生まれの画家。
フォーヴィスム(野獣派)のリーダー的存在であり、
野獣派の活動が短期間で終わった後も20世紀を代表する芸術家の一人として活動を続けた。
自然をこよなく愛し「色彩の魔術師」と謳われ、緑あふれる世界を描き続けた画家であった。
彫刻および版画も手がけている。
1889年、盲腸炎の療養中に母から画材を贈られたことで絵画に興味を持った。
後に本人のいうところでは「楽園のようなもの」を発見したマティスは、画家に転向する決意をする。
1891年、パリの私立美術学校であるアカデミー・ジュリアンに入学し、
絵画を学びつつ官立美術学校であるエコール・デ・ボザールへの入学を目指した。
ボザールへの入校は許可されなかったが、
熱意を評価した教官 ギュスターヴ・モロー から特別に個人指導を請ける事ができた。
この時、ボザールに入校してモローの指導を受けていたジョルジュ・ルオーとは生涯の友情を結ぶ。
1896年、国民美術協会のサロンに4点出品、うち1点は国家買上げとなる。
マティスの初期の作風は写実的なものを志していたが、
次第にポール・セザンヌ、ポール・シニャック、フィンセント・ファン・ゴッホ 、ポール・ゴーギャンら後期印象派の影響を受け、
自由な色彩による絵画表現を追究するようになる。
『緑のすじのあるマティス夫人の肖像』(1905年)、
『ダンスI』(1909年)など、
大胆な色彩を特徴とする作品を次々と発表し、
モーリス・ド・ヴラマンク、アンドレ・ドランらと共に 野獣派 と呼ばれるようになる。
しかし、フォーヴィスムとしての活動は1905年から3年ほどの間だけで、
それ以降は比較的静かで心地の良い作品を描くようになる。
そのころのマティスの言葉:『私は人々を癒す肘掛け椅子のような絵を描きたい』
本人は、フォーヴィスムと呼ばれ見なされることをひどく嫌った。
1910年代に入ると、幾何学的構成による抽象的・構築的傾向が見受けられ、
キュビスム の影響や、第一次世界大戦による厳しい内省的感情の反映が見受けられる。
1917年から30年ごろにかけては、おもに南フランスのニースを制作の場として活動。
この時期、優美で官能的なオダリスクをはじめ、開放的な作品を制作。
通常この頃のマティスの活動は「ニース時代」と区分される。
線の単純化、色彩の純化を追求した結果、切り絵に到達する。
マティスにとってはさみは鉛筆以上に素画に適した道具だったのである。
『ジャズ』シリーズなど切り絵の作品を多数残している[7][8]。
晩年、南仏ヴァンスのドミニコ会修道院ロザリオ礼拝堂の内装デザイン、上祭服のデザインを担当。
この礼拝堂はマティス芸術の集大成とされ、
切り紙絵をモチーフにしたステンドグラスや、
白タイルに黒の単純かつ大胆な線で描かれた聖母子像などは、
20世紀キリスト教美術の代表作と目される。
また、緑好きが高じて一風変わったアトリエを作った。
テーブルの上に所狭しと並べられた多様な花。
身の丈を越す巨大な観葉植物など、まるで植物園のようであった。
さらに大好きな鳥を多い時には300羽も飼っていたと云われている。
草花が満ち溢れ、鳥たちが憩うアトリエから数々の傑作を生み出した。
巨匠が晩年辿りついた癒しに満ちた世界。
名画誕生の舞台となった緑いっぱいのアトリエであった。
そして体力がなくなっていったマティスは油絵から切り紙絵へと変更する。
アシスタントに色紙を作ってもらい、はさみで切り抜いて作品を作り上げていった。
体調の変化で作品にも変化が現れ、
自然から受ける感覚、感触をダイレクトに現すようなことができるようになっていった。
形を見るというより、花や植物から感じる安らぎを心の目で見ると、
はさみを使うという身体的な動きを通して機能化して表現、
生命そのものの記号になるように求めていった。
1954年11月3日、ニースで没す。
84歳没。
人から分かる3分美術史 さんが 2021/01/14 に公開
3分でわかるアンリ・マティス(人から分かる3分美術史161)
https://youtu.be/oaI1Dxw8tb4
2004年9月~12月、日本の国立西洋美術館ほかで日本初の大規模なアンリ・マティス展が開かれた。
作品は初期の絵画から晩年までにわたり、制作作業を収めたドキュメンタリーフィルムも公開されている。
MoMAvideos さんが 2014/10/09 に公開
Henri Matisse: Drawing with Scissors
http://youtu.be/si_GBCJGIP4
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アンリ・マティス(アンリ・マチス、フランス語: Henri Matisse)
1869年12月31日生まれ、
1954年11月3日、84歳没。
フランス ノール県ル・カトー=カンブレジ生まれの画家。
フォーヴィスム(野獣派)のリーダー的存在であり、
野獣派の活動が短期間で終わった後も20世紀を代表する芸術家の一人として活動を続けた。
自然をこよなく愛し「色彩の魔術師」と謳われ、緑あふれる世界を描き続けた画家であった。
彫刻および版画も手がけている。
1889年、盲腸炎の療養中に母から画材を贈られたことで絵画に興味を持った。
後に本人のいうところでは「楽園のようなもの」を発見したマティスは、画家に転向する決意をする。
1891年、パリの私立美術学校であるアカデミー・ジュリアンに入学し、
絵画を学びつつ官立美術学校であるエコール・デ・ボザールへの入学を目指した。
ボザールへの入校は許可されなかったが、
熱意を評価した教官 ギュスターヴ・モロー から特別に個人指導を請ける事ができた。
この時、ボザールに入校してモローの指導を受けていたジョルジュ・ルオーとは生涯の友情を結ぶ。
1896年、国民美術協会のサロンに4点出品、うち1点は国家買上げとなる。
マティスの初期の作風は写実的なものを志していたが、
次第にポール・セザンヌ、ポール・シニャック、フィンセント・ファン・ゴッホ 、ポール・ゴーギャンら後期印象派の影響を受け、
自由な色彩による絵画表現を追究するようになる。
『緑のすじのあるマティス夫人の肖像』(1905年)、
『ダンスI』(1909年)など、
大胆な色彩を特徴とする作品を次々と発表し、
モーリス・ド・ヴラマンク、アンドレ・ドランらと共に 野獣派 と呼ばれるようになる。
しかし、フォーヴィスムとしての活動は1905年から3年ほどの間だけで、
それ以降は比較的静かで心地の良い作品を描くようになる。
そのころのマティスの言葉:『私は人々を癒す肘掛け椅子のような絵を描きたい』
本人は、フォーヴィスムと呼ばれ見なされることをひどく嫌った。
1910年代に入ると、幾何学的構成による抽象的・構築的傾向が見受けられ、
キュビスム の影響や、第一次世界大戦による厳しい内省的感情の反映が見受けられる。
1917年から30年ごろにかけては、おもに南フランスのニースを制作の場として活動。
この時期、優美で官能的なオダリスクをはじめ、開放的な作品を制作。
通常この頃のマティスの活動は「ニース時代」と区分される。
線の単純化、色彩の純化を追求した結果、切り絵に到達する。
マティスにとってはさみは鉛筆以上に素画に適した道具だったのである。
『ジャズ』シリーズなど切り絵の作品を多数残している[7][8]。
晩年、南仏ヴァンスのドミニコ会修道院ロザリオ礼拝堂の内装デザイン、上祭服のデザインを担当。
この礼拝堂はマティス芸術の集大成とされ、
切り紙絵をモチーフにしたステンドグラスや、
白タイルに黒の単純かつ大胆な線で描かれた聖母子像などは、
20世紀キリスト教美術の代表作と目される。
また、緑好きが高じて一風変わったアトリエを作った。
テーブルの上に所狭しと並べられた多様な花。
身の丈を越す巨大な観葉植物など、まるで植物園のようであった。
さらに大好きな鳥を多い時には300羽も飼っていたと云われている。
草花が満ち溢れ、鳥たちが憩うアトリエから数々の傑作を生み出した。
巨匠が晩年辿りついた癒しに満ちた世界。
名画誕生の舞台となった緑いっぱいのアトリエであった。
そして体力がなくなっていったマティスは油絵から切り紙絵へと変更する。
アシスタントに色紙を作ってもらい、はさみで切り抜いて作品を作り上げていった。
体調の変化で作品にも変化が現れ、
自然から受ける感覚、感触をダイレクトに現すようなことができるようになっていった。
形を見るというより、花や植物から感じる安らぎを心の目で見ると、
はさみを使うという身体的な動きを通して機能化して表現、
生命そのものの記号になるように求めていった。
1954年11月3日、ニースで没す。
84歳没。
人から分かる3分美術史 さんが 2021/01/14 に公開
3分でわかるアンリ・マティス(人から分かる3分美術史161)
https://youtu.be/oaI1Dxw8tb4
2004年9月~12月、日本の国立西洋美術館ほかで日本初の大規模なアンリ・マティス展が開かれた。
作品は初期の絵画から晩年までにわたり、制作作業を収めたドキュメンタリーフィルムも公開されている。
MoMAvideos さんが 2014/10/09 に公開
Henri Matisse: Drawing with Scissors
http://youtu.be/si_GBCJGIP4
ありがとうございました。
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