ジョン・フォン・ノイマン さん

ジョン・フォン・ノイマン(John von Neumann)
 ハンガリー語名:Neumann János Lajos(発音 [ˈnɒjmɒn ˈjaːnoʃ ˈlɒjoʃ])
 ドイツ語名:Johann Ludwig von Neumann(ヨハン・ルードヴィヒ・フォン・ノイマン)

1903年12月28日生まれ、
1957年2月8日、53歳没。

オーストリア=ハンガリー帝国ブダペスト出身のアメリカ合衆国の数学者。

数学・物理学・工学・計算機科学・経済学・気象学・心理学・政治学に影響を与えた
20世紀科学史における最重要人物の一人とされ、
特に原子爆弾やコンピュータの開発への関与でも知られる。

プログラム内蔵型コンピュータ生みの親。

1930年、プリンストンに招かれ、プリンストン高等研究所の所員に選ばれた。
 4人のメンバーのうち2人はアルベルト・アインシュタインとヘルマン・ワイルであった

1933年以降、この研究所で数学の教授を務めた。

たばふじちゃんねる【田畑藤本 公式】 さんが 2019/06/20 に公開
【都市伝説】アインシュタインも認めていた!?人類最高の天才ノイマンとは!?【田畑藤本藤本】
https://youtu.be/iDA9uw0W9Cw


1932年、物理では量子力学を形式的に完成させた 『量子力学の数学的基礎』 で知られる。
 これにより、
 ハイゼンベルク-ボルン-ジョルダンによる行列力学とシュレディンガーによる波動力学を
 抽象ヒルベルト空間のクラスに帰属する理論として統一が行なわれた。





ロスアラモス国立研究所でアメリカ合衆国による原子爆弾開発のためのマンハッタン計画に参加していた。

1950年代、アメリカ合衆国国防総省、中央情報局(CIA)、IBM、ゼネラル・エレクトリック、スタンダード・オイルなど
大企業や政府の顧問などさまざまな仕事を引き受け、
特にアメリカ合衆国空軍へのコンサルティングが増え、
1953年に発足した通称「フォン・ノイマン委員会」の答申によって合計6種の戦略ミサイルが開発された。
しかし、太平洋での核爆弾実験の観測やロスアラモス国立研究所での核兵器開発の際に放射線を浴びたことが原因となって、
1955年、骨腫瘍あるいはすい臓がんと診断された(同僚のエンリコ・フェルミも1954年に骨がんで死亡している)。
癌は全身に転移。
その後も精力的に活動を続け、合衆国政府の相談役として重要な役割を果たし続けた。
アメリカ原子力委員会初代委員長ルイス・ストローズの回想によれば
「あるとき国防総省がノイマンに相談することになった…。
 移民だった彼のベッドはいまや国防長官、副長官、陸海軍の長官や参謀長達に囲まれていた」
という。

1956年1月、ワシントンD.C.のウォルター・リード病院に入院。

1957年2月、53歳で死去。





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