田中稔 さん

田中 稔(たなか みのる)
 本名:田中 稔
 リングネーム:
  田中 稔
  稔
  ヒート
  田中 みのる
 ニックネーム:
  The Special One
  腕十字職人
  ブラック・プリンス

1972年11月29日生まれ、49歳。

愛知県小牧市出身のプロレスラー。

妻:府川唯未(元・女子プロレスラー)

1993年、プロフェッショナルレスリング藤原組に入門。

1994年1月24日、マーク・アシュフォード戦でデビュー。

1994年2月、リングスに参戦。

1995年、格闘探偵団バトラーツの設立に参加、所属。

1999年4月、新日本プロレス東京ドーム大会に参戦。

1999年、ベスト・オブ・ザ・スーパージュニアにも出場。

2000年6月、金本浩二とジュニア・スターズを結成し、IWGPジュニアタッグ王座を獲得。

2000年10月、バトラーツを退団、

高岩竜一のIWGPジュニアヘビー級王座に挑戦し勝利。
第39代IWGPジュニアヘビー級王座初戴冠。

2001年1月、正式に新日本プロレス所属となった。

2001年6月、ベスト・オブ・ザ・スーパージュニアVIIIで準優勝。

2002年1月18日、記者会見で府川唯未との婚約を発表。

2002年6月8日、挙式および結婚披露宴。

2002年2月、垣原賢人を下し、IWGPジュニアヘビー級王座に返り咲く。

2002年5月、獣神サンダー・ライガーをパートナーに邪道・外道組を下しIWGPジュニアタッグ王座を獲得。

その後ゲームボーイアドバンス用ソフト『闘魂ヒート』(パシフィック・センチュリー・サイバーワークス・ジャパン)のゲームキャラクターから出た覆面レスラー「ヒート」に転身。

2002年10月、再デビューするも、不甲斐ない試合が続いたため、
当時タッグパートナーだったライガーに批判され、敵対関係となった。

NJPW さんが 2011/05/11 にアップロード
NJPW GREATEST MOMENTS EL SAMURAIvsTANAKA
NJPW GREATESTMOMENTS
2002年6月2日松戸市運動公園体育館
BEST OF THE SUPER Jr. IX・公式リーグ戦
エル・サムライvs田中稔
実況:鍵野威史 解説:山本小鉄

http://youtu.be/bJ3Qu3lusDM

2004年、マスクを脱ぎ素顔に戻る。

この頃からライガーにヒール集団 C.T.U に勧誘され、
最初は難色を示していたが最終的にC.T.Uの一員となった。

2004年12月、井上亘の挑戦を退け、同タイトル最多連続防衛記録11回を記録。
覆面レスラー時代を含めて、1年に及ぶ長期政権だった。

2005年1月、タイガーマスクに敗れ、IWGPジュニアヘビー級王座から陥落。

2005年4月リングネームを「」に改名。
ヘビー級挑戦を視野に入れる。

2006年6月、ベスト・オブ・ザ・スーパージュニアXIIIにおいて初日敗戦もAブロック2位通過。
決勝トーナメントでは井上亘(HEATクラッチ)、タイガーマスク(ミノルスペシャル)と撃破し、
7回目の出場で悲願の初優勝をかざる。

2006年12月24日、後楽園ホールにて金本浩二とタイトル戦を行い、勝利。
第51代IWGPジュニアヘビー級王座に返り咲く。

2007年2月、井上亘を破りIWGPジュニアヘビー級を初防衛。

2007年3月、エル・テハノ・ジュニアを破り2度目の防衛成功。

2007年4月、田口隆祐を破り3度目の防衛成功とともに、サムライジムの看板を奪う。

2007年5月、裕次郎を破り4度目の防衛成功。

2007年7月、田口隆祐に敗れ5度目の防衛に失敗。サムライジムの看板も元の場所に戻される。

2007年8月、C.T.U の解散とともに、中邑真輔らと共闘を宣言。
後に RISE となった。

2007年11月、プリンス・デヴィットと組み、TNAのクリストファー・ダニエルズ&センシに挑むが敗れる。

2008年1月、今度はミラノコレクションA.T.も引き連れ、クリスチャン・ケイジ&AJスタイルズ&ピーティー・ウィリアムズと戦うが敗れる。

2008年1月、プリンス・デヴィットをパートナーにし、ディック東郷&TAKAみちのくが所持するIWGPジュニアタッグに挑戦し勝利。
第19代ジュニアタッグ王座になる。

しかし、3週間後、ライガー&AKIRAに敗れ、初防衛に失敗。

2009年1月14日、新日本プロレスとの契約を終了し、
2009年1月31日をもって退団することを発表。

2009年2月6日、全日本プロレスの後楽園ホール大会に突如乱入し、
バトラーツ時代の後輩、土方隆司を助けるかと思いきや、
TARUと結束し突如 VOODOO-MURDERS 入り。

2009年2月14日、ZERO1の大阪大会に参戦、藤田ミノルとタッグを結成。
 ZERO1にはこれまでどおりの正統派レスラーとして参戦していく模様。

2009年2月22日、DDTプロレスリング に「ミノール・ポルナレフ」として参戦し、
デスケーキ(毒入りケーキ)を食らわされ失神するというコミカルなファイトを披露。

2011年6月、TARUの暴行事件により主戦場である全日本プロレスの無期限停止の処分が下ったが、
2011年6月30日、事件には関わっていないとして出場停止処分を解除。

その後、全日本プロレスに正式入団。

2011年10月26日、リングネームを本名の「田中稔」に戻した。

2012年8月31日よりみちのくプロレスのふく面ワールドリーグ戦に「ヒート」として復活し参戦。

2013年6月30日の両国国技館大会を最後に、全日本プロレスを退団。

武藤敬司らとともに WRESTLE-1 に参加。

2013年9月25日、プロレスリングHEAT UPに参戦。
 かつての愛弟子田村和宏とタッグながら対戦。

2014年1月31日、デビュー20周年記念試合で、
タッグパートナー金本浩二、師匠の藤原喜明、獣神サンダー・ライガーと組みデスペラード軍と対戦し勝利。

2016年6月30日、契約満了につき WRESTLE-1 を退団。

2017年より古巣である全日本プロレスに参戦。

その他にもZERO1などに参戦。

2017年9月23日、プロレスリングノア後楽園大会に突如姿を見せ、
「GHCジュニアのベルト頂きに参りました」とGHCジュニア取りを高らかに宣言。
それに対し熊野準が10月1日の横浜文化体育館大会で迎え撃つ事となった。

2017年10月1日、横浜文化体育館大会で熊野に勝利。

その後もレギュラー参戦しているドラディションのLEONA、XXのHi69らを立て続けに倒し、
現GHCジュニア王者原田大輔に12.22後楽園でGHCジュニアへの挑戦が決まった。

2017年12月22日、原田の持つGHCジュニア王座に挑戦するが必殺の片山ジャーマンスープレックスホールドに沈む。

2018年1月28日、大阪大会でGHCジュニアタッグ王座新王者組となった石森太二・Hi69組の前に現れ、挑戦を表明。この時は単身での挑戦表明だったがそこへ小川良成が登場、小川とのタッグで3月11日・横浜文化体育館大会でのタイトル挑戦が正式に決定した。

2019年3月10日、横浜文化体育館大会で、
原田大輔からFIRE BALLスプラッシュでピンフォール勝ちを奪い、
GHCジュニアヘビー級王座初戴冠。
ジュニアタイトルのメジャー制覇を果たした。

田中稔 (minoru.tanaka_official) Instagram

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オレ、田中稔☆

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田中稔|PROFILE LIDET ENTERTAINMENT



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