井上成美 さん

井上 成美(いのうえ しげよし/せいび)

1889年12月9日生まれ
1975年12月15日、86歳没。

宮城県仙台市生まれの海軍軍人、大日本帝国海軍大将。

日本海軍で最後に大将に昇進した二人の軍人の一人。

日独伊三国軍事同盟、日米開戦に強硬に反対した。

1906年10月31日、海軍兵学校合格により、宮城県立第二中学校を5年生で中退。

1906年11月24日、海軍兵学校第37期入校。

1909年11月19日、海軍兵学校卒業、

少尉候補生となる。

2等巡洋艦「宗谷」乗組。

練習艦隊近海航海出発。
 大連-仁川-鎮海湾-佐世保-鹿児島-津方面巡航。
12月29日、帰着。

1910年2月1日、練習艦隊遠洋航海出発。
 マニラ-アンボイナ-パーム島-タウンズビル-ブリスベーン-シドニー-ホバート-メルボルン-フリーマントル-バタヴィア-シンガポール-香港-馬公-基隆方面巡航。
 7月3日、帰着。

1910年7月16日、戦艦「三笠」乗組。

1910年12月1日、装甲巡洋艦「春日」乗組。

1910年12月15日、任 海軍少尉。

1911年1月18日、巡洋戦艦「鞍馬」乗組。
 イギリス国王ジョージ5世戴冠式兼観艦式列席

1912年12月1日- 任 海軍中尉

1915年12月13日、任 海軍大尉・戦艦「扶桑」分隊長。

1921年12月1日、任 海軍少佐。

1922年3月1日、軽巡洋艦「球磨」航海長兼分隊長。

1924年12月1日- 海軍大学校甲種学生卒業。

1925年12月1日、任 海軍中佐

1929年11月30日、任 海軍大佐

1930年1月10日、海軍大学校教官。

1933年11月15日、練習戦艦「比叡」艦長。

1935年11月15日、任 海軍少将・横須賀鎮守府参謀長。

1939年10月23日、支那方面艦隊参謀長兼第三艦隊参謀長

1939年11月15日、任 海軍中将

1940年4月29日、勲一等旭日大綬章、功三級金鵄勲章受章。

1940年10月1日、海軍航空本部長。

1941年8月11日、第四艦隊司令長官に親補される。

1944年8月5日、海軍次官。

1944年8月29日、終戦工作開始。

1945年5月15日- 海軍大将に親任される。

1975年12月15日、神奈川県横須賀市長井の自宅で死去。
86歳没。

captaintadano さんが 2018/02/14 に公開
すばらしき仲間 人間ドキュメント 井上成美

https://youtu.be/CvfiZj_zc04



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終戦後二十五年、公式の発言をひかえ、
ひたすら沈黙を守った最後の海軍大将・井上成美。
軍務局長、航空本部長、艦隊司令長官、海軍兵学校長、終戦内閣の海軍次官を務めるほか、
海軍切っての知性派として知られ、
日米開戦の回避と早期終戦に尽力した。
清貧の暮らしを送る提督が、
初めて沈黙をやぶり筆者と対談した貴重な証言を収録。
海軍報道班員として戦地へ赴いた体験を軸に、
陸海軍双方の内部事情に通じていた筆者ならではの興味深い証言とエピソードを織り込んで、
太平洋戦争の実相に迫る。






ありがとうございました。



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