マリ・キュリー(キュリー夫人) さん
マリア・スクウォドフスカ=キュリー(ポーランド語: Maria Salomea Skłodowska-Curie)
フランス語名はマリ・キュリー(Marie Curie、ファーストネームは日本語ではマリーとも)。
キュリー夫人 (Madame Curie) として有名。
1867年11月7日生まれ、
1934年7月4日、満66歳没。
ポーランド(ポーランド立憲王国)ワルシャワ生まれの物理学者、化学者。
主な業績:
放射線 の研究
ラジウム の発見
ポロニウム の発見
放射線 の研究で、
1903年のノーベル物理学賞、
1911年のノーベル化学賞を受賞し、
パリ大学初の女性教授職に就任。
放射線(radioactivity) という用語は彼女の発案による。
夫:ピエール・キュリー(1895年7月26日~1906年4月19日死別)
長女:イレーヌ・ジョリオ=キュリー
次女:エーヴ・キュリー
1897年9月12日、長女の イレーヌ・ジョリオ=キュリー がパリで生まれた。
1898年5月12日、マリー・キュリー が ラジウム を発見。
1903年12月、スウェーデン王立科学アカデミーはピエールとマリそしてアンリ・ベクレルの3人にノーベル物理学賞を授与する決定を下した。
その理由は
「アンリ・ベクレル教授が発見した放射現象に対する共同研究において、特筆すべきたぐいまれな功績をあげたこと」
であった。
こうしてマリは、女性初のノーベル賞授与者となった。
夫妻はストックホルムの授賞式には出席できなかったが、賞金の7万フランは一家の経済状態を救っただけでなく、金銭的に恵まれない知人や学生たちのためにも役立てられた。
1904年、次女の エーヴ・キュリー が生まれた。
1906年4月19日、夫の ピエール・キュリー が馬車に轢かれて死亡。
1909年、アンリ・ド・ロチルドからキュリー研究所を与えられた。
1911年、2度目のノーベル賞を受賞。
ノーベル化学賞
受賞理由:ラジウムおよびポロニウムの発見とラジウムの性質およびその化合物の研究
1926年、イレーヌ・ジョリオ=キュリー が、マリーの助手だった フレデリック・ジョリオ と結婚。
結婚後のイレーヌとフレデリックは、ジョリオ=キュリーという姓を用い、共同で研究成果を発表していった。
1934年5月、気分が優れず研究所を早く後にした。
そのまま寝込むようになったマリは検査を受け、結核の疑いがあるという診断が下った。
サナトリウムで療養に入ることを決めた。
しかしここで受けた診察では肺に異常は見つからず、
ジュネーヴから呼ばれた医師が行った血液検査の結果は、再生不良性貧血だった。
1934年7月4日水曜日の夜明け前、マリはフランスで亡くなった。
夫ピエールが眠るソーの墓地に、夫と並んで埋葬された。
長期間の放射線被曝による再生不良性貧血が死因であると考えられている。
放射線の危険性は当時は知られていなかったため、その後開発された放射線防護策はとられていなかった。
マリは放射性同位体を含む試験管をポケットに入れて運んでいた。
マリは長年の放射線被曝によりさまざまな病気にかかり(白内障によってほぼ失明したことを含む)、
ついには死に至ったが、
放射線被曝による健康被害については決して認めなかった。
60年後の1995年、夫妻の業績を称え、ふたりの墓はパリのパンテオンに移され、
フランス史の偉人のひとりに列された。
マリは、パンテオンに祀られる初の女性である。
1934年、イレーヌとフレデリックは、リン30 を合成し、
1935年、「人工放射性元素の研究」で、2人共にノーベル化学賞を受賞。
マリの実験室はパリのキュリー博物館として、そのままの姿で保存されている。
原子番号96の元素名キュリウムは夫妻の姓に由来する。
1937年出版、エーヴ・キュリー執筆によるマリーの伝記 『キュリー夫人』 (Madame Curie)
1943年、映画化。
1943年製作、
1943年12月15日アメリカ公開、
1946年2月14日日本公開、
アメリカ合衆国の伝記映画 『キュリー夫人』(Madame Curie)
監督:マーヴィン・ルロイ
原作:エーヴ・キュリー『キュリー夫人伝』
脚本:ポール・オズボーン、ポール・H・ラモー
音楽:ハーバート・ストサート
出演:グリア・ガースン、ウォルター・ピジョン、ヘンリー・トラヴァース、アルベルト・バッサーマン、ロバート・ウォーカー、C・オーブリー・スミス、メイ・ウィッティ、マーガレット・オブライエン
ナレーター:ジェームズ・ヒルトン
キュリー夫人 allcinema
Movieclips Classic Trailers さんが 2014/10/07 に公開
Madame Curie (1943) Official Trailer - Greer Garson, Walter Pidgeon Movie HD
https://youtu.be/PrURyPLBV44
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マリア・スクウォドフスカ=キュリー(ポーランド語: Maria Salomea Skłodowska-Curie)
フランス語名はマリ・キュリー(Marie Curie、ファーストネームは日本語ではマリーとも)。
キュリー夫人 (Madame Curie) として有名。
1867年11月7日生まれ、
1934年7月4日、満66歳没。
ポーランド(ポーランド立憲王国)ワルシャワ生まれの物理学者、化学者。
主な業績:
放射線 の研究
ラジウム の発見
ポロニウム の発見
放射線 の研究で、
1903年のノーベル物理学賞、
1911年のノーベル化学賞を受賞し、
パリ大学初の女性教授職に就任。
放射線(radioactivity) という用語は彼女の発案による。
夫:ピエール・キュリー(1895年7月26日~1906年4月19日死別)
長女:イレーヌ・ジョリオ=キュリー
次女:エーヴ・キュリー
1897年9月12日、長女の イレーヌ・ジョリオ=キュリー がパリで生まれた。
1898年5月12日、マリー・キュリー が ラジウム を発見。
1903年12月、スウェーデン王立科学アカデミーはピエールとマリそしてアンリ・ベクレルの3人にノーベル物理学賞を授与する決定を下した。
その理由は
「アンリ・ベクレル教授が発見した放射現象に対する共同研究において、特筆すべきたぐいまれな功績をあげたこと」
であった。
こうしてマリは、女性初のノーベル賞授与者となった。
夫妻はストックホルムの授賞式には出席できなかったが、賞金の7万フランは一家の経済状態を救っただけでなく、金銭的に恵まれない知人や学生たちのためにも役立てられた。
1904年、次女の エーヴ・キュリー が生まれた。
1906年4月19日、夫の ピエール・キュリー が馬車に轢かれて死亡。
1909年、アンリ・ド・ロチルドからキュリー研究所を与えられた。
1911年、2度目のノーベル賞を受賞。
ノーベル化学賞
受賞理由:ラジウムおよびポロニウムの発見とラジウムの性質およびその化合物の研究
1926年、イレーヌ・ジョリオ=キュリー が、マリーの助手だった フレデリック・ジョリオ と結婚。
結婚後のイレーヌとフレデリックは、ジョリオ=キュリーという姓を用い、共同で研究成果を発表していった。
1934年5月、気分が優れず研究所を早く後にした。
そのまま寝込むようになったマリは検査を受け、結核の疑いがあるという診断が下った。
サナトリウムで療養に入ることを決めた。
しかしここで受けた診察では肺に異常は見つからず、
ジュネーヴから呼ばれた医師が行った血液検査の結果は、再生不良性貧血だった。
1934年7月4日水曜日の夜明け前、マリはフランスで亡くなった。
夫ピエールが眠るソーの墓地に、夫と並んで埋葬された。
長期間の放射線被曝による再生不良性貧血が死因であると考えられている。
放射線の危険性は当時は知られていなかったため、その後開発された放射線防護策はとられていなかった。
マリは放射性同位体を含む試験管をポケットに入れて運んでいた。
マリは長年の放射線被曝によりさまざまな病気にかかり(白内障によってほぼ失明したことを含む)、
ついには死に至ったが、
放射線被曝による健康被害については決して認めなかった。
60年後の1995年、夫妻の業績を称え、ふたりの墓はパリのパンテオンに移され、
フランス史の偉人のひとりに列された。
マリは、パンテオンに祀られる初の女性である。
1934年、イレーヌとフレデリックは、リン30 を合成し、
1935年、「人工放射性元素の研究」で、2人共にノーベル化学賞を受賞。
マリの実験室はパリのキュリー博物館として、そのままの姿で保存されている。
原子番号96の元素名キュリウムは夫妻の姓に由来する。
1937年出版、エーヴ・キュリー執筆によるマリーの伝記 『キュリー夫人』 (Madame Curie)
1943年、映画化。
1943年製作、
1943年12月15日アメリカ公開、
1946年2月14日日本公開、
アメリカ合衆国の伝記映画 『キュリー夫人』(Madame Curie)
監督:マーヴィン・ルロイ
原作:エーヴ・キュリー『キュリー夫人伝』
脚本:ポール・オズボーン、ポール・H・ラモー
音楽:ハーバート・ストサート
出演:グリア・ガースン、ウォルター・ピジョン、ヘンリー・トラヴァース、アルベルト・バッサーマン、ロバート・ウォーカー、C・オーブリー・スミス、メイ・ウィッティ、マーガレット・オブライエン
ナレーター:ジェームズ・ヒルトン
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