エルンスト・ハインケル さん

エルンスト・ハインケル(Ernst Heinkel)

1888年1月24日生まれ、
1958年1月30日、70歳没。

ドイツ グルンバッハ(Grunbach )生まれの航空機の設計者・製造者。

1922年、ハインケルはヴァーネミュンデに ハインケル 航空機会社を設立した。

ヴェルサイユ条約(第三款・航空條項第百九十八條〜第二百二條)により航空機の製造を禁止されていたので、
ハインケルは飛行艇の設計図を持ってスウェーデンに渡った。

そして、日本海軍向けに HD-25水上機(二式水上偵察機、二式複座水上偵察機) を製造した。
 1926年、試作機がドイツのワルネミュンデで初飛行し、
 日本に輸入し行われた試験の結果、
 1928年3月、制式採用され、二式水上偵察機と命名された。
 愛知航空機で16機が生産され、
 巡洋艦搭載水偵として使用された。
 なお、輸入当初のHD-25のことを海軍はハインケル式軍艦用水上機と呼称していた。

ドイツに戻った彼は客船ブレーメンに搭載する同様の射出式の郵便配達用の水上機を製作した。

ヒトラーが力を持つようになると、
会社は空軍の拡張のために第二次世界大戦終了まで急拡大した。

この時期に He 59He 115He111 が生産された。

1938年、ノーベル賞に対抗してナチス・ドイツが制定した ドイツ芸術科学国家賞 をニュルンベルクのナチス党党大会にて授与された。

ハインケルは高速機の開発に情熱を注いだ。
その一例が、 ターボジェット 機の研究で ハンス・フォン・オハイン を援助した。
ジェットエンジン は当初、イギリスの ホイットル によって開発されたが、
先見性のあるハインケルの機体 He178 の方が早く初飛行した。

Tamas Hadnagy さんが 2016/11/13 に公開
Heinkel he 178 the First Jet Powered Airplane

https://youtu.be/Syj__VRv0-E



ジェット機 開発は最終的に、メッサーシュミット社の機体 Me262 が採用されてしまったが、
大戦末期には、単発ジェット機 He162 を実用化している。

また、ロケット機の分野にも着手し、試作機 He176 で、世界で初めての有人飛行を成功させている。

Aerocinema さんが 2009/07/16 に公開
Heinkel He 176: Rocketmen

https://youtu.be/CzR54w8SjW8

ハインケル社は大型機の受注が多かったが、戦闘機のような主力小型機の分野では、
He280 のように先進的な技術を有していても、
政治的に優位に立つメッサーシュミット社などの後塵を拝してしまっていた。
また、機体は性能を追求するあまり技術的に複雑になりすぎ、量産性や実用面に問題があった点が採用の可否に影響したり、
制式採用された He177 のように、期待通りの結果が出なかった機体もあった。

ドイツのハインケル社が、第二次世界大戦時に開発したジェット戦闘機、ハインケルHe280

aircraftube さんが 2013/10/28 に公開
Heinkel He 280

https://youtu.be/IM0RhZeB49c

okrajoe さんが 2013/07/20 に公開
Heinkel He 280 Jet Fighter

https://youtu.be/zdb30LLq8L8





1956年、ハインケル車体を設立し、多数の欧州型バブルカー、 ハインケル・カビーネ を生産した。
 1958年の生産終了時までに5000台以上が生産された。
 アルゼンチンでは1961年までライセンス生産された。

1958年、シュトゥットガルトで死去。





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