仁科芳雄 さん

仁科 芳雄(にしな よしお)

1890年12月6日生まれ、
1951年1月10日、満60歳没。

岡山県浅口郡里庄町浜中生まれの物理学者。

日本に量子力学の拠点を作ることに尽くし、
宇宙線関係、加速器関係の研究で業績をあげた。

日本の現代物理学の父である。

主な業績:
 サイクロトロン の建設。
 クライン=仁科の公式

1937年、理化学研究所(駒込)にわが国第1号(世界で第2号)の サイクロトロン を建設して、
原子核・素粒子研究の基礎を築いたばかりでなく、
放射性同位元素(ラジオアイソトープ)を医学、生物学など幅広い分野へ応用するための先駆的な研究を指導した。

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理研紹介映画『科学の殿堂』ダイジェスト版(昭和17年制作)
【一般】1917年(大正6年)に財団法人として発足した理化学研究所。
その25周年を記念し、
第二次世界大戦(1939~1945年)中の1942年(昭和17年)に制­作された理研紹介映画です。
制作は、理研の発明を自らが工業化した事業体「理研コンツェルン」の一社、理研科学映画(株)。
この映画には、
理研コンツェルンをつくった大河­内正敏(財)理研第三代所長(1878~1952年)、
国内初のサイクロトロンをつくった仁科芳雄博士(1890~1951年)、
日本のビタミン研究の創始者である鈴木梅­太郎博士(1874~1943年)など、
科学史に残る偉人たちが出演しています。
ほかにも当時の理研を知る上でとても貴重な映像が収められています。

http://youtu.be/tDWSiLhU3Qc

rikenchannel さんが 2010/03/22 にアップロード
理研紹介映画『科学の殿堂』完全版(昭和17年制作)

http://youtu.be/ml-_xR60O0Y



1946年11月、理研の所長となり、
1946年、文化勲章を授与された。

1948年2月、理研が解散し、
3月に株式会社科学研究所(現在の科研製薬)が発足すると初代の社長となった。

後に学士院会員、日本学術会議第1期副会長を務める。

だが、戦後になると体調を崩す事が多くなり、病院での検査の結果肝臓癌と判明した。
 この癌の原因については、当時は未知の部分が多かった放射線などの研究を戦前から長年行っていた事や、
 原爆投下直後の広島・長崎に入市し被曝した事を要因と考える説など諸説がある。

1951年1月10日、60歳で没した。

死去から4年後の1955年、原子物理学とその応用分野の振興を目的として仁科記念財団が設立された。
 この財団では毎年、原子物理学とその応用に関して著しい業績を上げた研究者に仁科記念賞を授与している。

ニールス・ボーアのもとで身に着けたその自由な学風は、自由で活発な精神風土を日本にもたらし、
日本の素粒子物理を世界水準に引き上げた。
仁科の主催する研究室からは、多くの学者が巣立っていった。
朝永振一郎、坂田昌一が代表で多くの孫弟子がいる。
仁科の影響の及ばない素粒子論の研究者は少ない。

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