伏見康治 さん

伏見 康治(ふしみ こうじ)

1909年6月29日生まれ、
2008年5月8日、98歳没。

愛知県名古屋市生まれ、東京育ちの理論物理学者、理学博士。

日本学術会議会長(1977年~82年)。 

公明党参議院議員(1期)。

正四位勲二等(没時)。

本来の仕事である物理学、特に統計力学の分野で大きな研究業績を上げた他、
戦後日本の科学研究体制の確立と発展にも力を尽くし、
原子力平和利用研究を推進、
さらには科学者の社会的責任のアピールと行動、
一般向け書籍による物理の面白さの啓発・普及、
そして対称性の美の追究など、
多方面に大きな足跡を残した。

1933年、東京帝国大学理学部物理学科卒業、
同大学理学部物理学教室で 寺澤寛一 教授の助手となる。

1934年~61年、大阪大学助手・助教授を経て、
1940年、同大学教授。

1940年、「量子統計力学の密度行列に関する論文」により理学博士の学位を取得。

1942年、原子核物理学の一般向け啓蒙書「驢馬電子」を書いて出版。

1943年、 ジョージ・ガモフ の名著 「不思議の国のトムキンス」 を訳出し、日本に紹介。



戦後になって、
伏見は日本においても独自に原子力の研究を行うことの重要性を認識し、
それを平和利用研究に限る証として「自主、民主、公開」の三原則を起草して 茅誠司 と共に提唱し、
「茅・伏見の原子力三原則」と呼ばれた。

1961年~73年、名古屋大学教授、プラズマ研究所所長。

1973年、名古屋大学退官。大阪大学・名古屋大学名誉教授。

1977年~82年、日本学術会議会長。

1973年11月 紫綬褒章。

1980年7月、藤原賞。

1983年~89年、参議院議員。

1989年11月、勲二等旭日重光章。

2008年5月8日、老衰のため横浜市港北区の三菱重工大倉山病院で死去。
98歳没。
 2008年5月15日 『伏見康治・元学術会議会長が死去』 原子力産業新聞

正六位から正四位に昇叙せられた。





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