山本"KID"徳郁 さん
山本“KID”徳郁(やまもと“キッド”のりふみ)
本名:岡部 徳郁(旧姓:山本)
通称:KID、神の子
1977年3月15日生まれ、
2018年9月18日、41歳没。
神奈川県川崎市出身の元総合格闘家。
KRAZY BEE主宰。
HERO'S 2005ミドル級世界王者。
祖父:水泳のオリンピック選手
父:山本郁榮(ミュンヘンオリンピックレスリング・グレコローマン日本代表)
姉:山本美憂(女子レスリング選手、総合格闘家)
妹:山本聖子(女子レスリング選手兼指導者)
甥:山本アーセン(レスリング選手、総合格闘家)
2004年2月24日、K-1初参戦となった「K-1 WORLD MAX 2004 〜日本代表決定トーナメント〜」1回戦で 村浜武洋 と対戦。
村浜を相手にK-1ルール初挑戦ながら圧倒的なスピードとパンチ力を発揮、
ノーガードで村浜のパンチを避け、ダウンを奪った後も追撃する2RKO勝利。
だが、試合前から負傷していた右手第二中指骨を骨折し、準決勝を棄権した。
その後、トニー・バレント、安廣一哉、ジャダンバ・ナラントンガラグを総合ルール(安廣のみミックスルール)にて一本・KO勝ち。
そしてナラントンガラグ戦後、リング上からマイクで 魔裟斗 に対戦を要求。
魔裟斗もこれを受け、
2004年12月31日、 K-1 PREMIUM 2004 Dynamite!! で対戦。
1Rに魔裟斗からダウンを奪った直後、金的を貰いダウン。
リプレイが流れた会場では悲鳴が上がるほどのダメージを受け、
実況席からも続行は無理と言われる程であった。
また、完全に視線が下にいっている魔裟斗のリプレイ映像を見て解説の船木誠勝が故意であることを匂わせる発言をした。
インターバルの後に試合は再開されたものの、精彩を欠いたKIDは2Rにダウンを取り返され、判定負け。
2004年8月、モデルの MALIA と結婚。
2005年1月、男児、
2006年11月、女児をもうけるも、
2009年8月、離婚。
子供はMALIAが引き取った。
2005年5月4日、K-1 WORLD MAX 2005のスーパーファイトにてK-1ルールで出場。
マイク・ザンビディスと対戦し、右フックでキャリア初のKO負けを喫した。
2005年7月6日、HERO'S 2005のスーパーファイトでイアン・シャファーと対戦し、TKO勝ち。
2005年9月7日、HERO'S 2005ミドル級(-70kg)世界最強王者決定トーナメント出場。
準々決勝で ホイラー・グレイシー と対戦し、右フックで失神KO勝ち。
準決勝では 宇野薫 をパンチで出血させ、ドクターストップでTKO勝ち。
2005年12月31日、K-1 PREMIUM 2005 Dynamite!!出場。
トーナメント決勝戦で 須藤元気 と対戦し、
右フックのダウンからパウンドの連打で1RKO勝ちを収めトーナメント優勝を果たし、
キャリア初のベルト戴冠となった。
この試合の決着場面において「レフェリーストップが早かったのでは?」という指摘が須藤とファンから挙がったが、
後日にTBSで放送された格闘王で、
レフェリーストップ直後に立ち上がった須藤の脳が揺れて足元がふらついてコーナーまでよろめいている映像が放送され、
事なきを得た。
須藤も後に「ストップされた時は、(ダメージがあったため)あまり覚えていない」と語っている。
adhesive1247 さんが 2009/09/26 に公開
[HERO'S ミドル級決勝] 2005.12.31 山本KID徳郁 VS 須藤元気
http://youtu.be/Wp77rtvHsvc
2006年5月3日、HERO'Sで 宮田和幸 と対戦し、開始4秒の左跳び膝蹴り一発で失神KO勝ち。
この膝蹴りで宮田は下顎骨を骨折する重傷を負った。
試合後のマイクでは「ヤバイ、かっこ良すぎる、俺」と自画自賛した。
2006年7月23日、レスリングに復帰し、2008年の北京オリンピック出場を目指すことを宣言。
プロ格闘家活動を一時休止する。
2006年12月31日、K-1 PREMIUM 2006 Dynamite!!で総合格闘技のリングに一時復帰。
アテネオリンピックレスリング・グレコローマン55kg級金メダリストのイストバン・マヨロシュと対戦し、
スタンドパンチ連打でKO勝ち。
2007年1月28日、天皇杯平成18年度全日本レスリング選手権フリースタイル60kg級2回戦で
アテネオリンピック銅メダルの井上謙二(自衛隊)の巻投げで右肘を脱臼、
試合開始16秒でフォール負けを喫した。
2007年6月、北京オリンピック出場に望みをかけレスリング明治乳業杯全日本選抜選手権に出場を予定していたが、
肘の脱臼が完治せず、練習も満足に出来ていないため出場を取りやめた。
2007年12月31日、K-1 PREMIUM 2007 Dynamite!!でハニ・ヤヒーラと61kg契約で対戦。
ヤヒーラのグラウンドには付き合わずスタンドでの攻防となり、最後は左フックでKO勝ち。
2018年8月26日、自身のInstagramにてがんの闘病中であることを公表した。
のちに胃がんを起因とするがんの全身転移だったことが明かされている。
2018年9月18日、多臓器不全で死去、41歳没。
スカパー ! [公式] さんが 2018/12/03 に公開
BAZOOKA!!!#249「忘れてたまるか 山本"KID"徳郁」特別編集版
https://youtu.be/2XAxib2DYLw
山本徳郁 (kid_yamamoto) Instagram
山本"KID"徳郁 (@KID_KRAZYBEE) Twitter
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山本“KID”徳郁(やまもと“キッド”のりふみ)
本名:岡部 徳郁(旧姓:山本)
通称:KID、神の子
1977年3月15日生まれ、
2018年9月18日、41歳没。
神奈川県川崎市出身の元総合格闘家。
KRAZY BEE主宰。
HERO'S 2005ミドル級世界王者。
祖父:水泳のオリンピック選手
父:山本郁榮(ミュンヘンオリンピックレスリング・グレコローマン日本代表)
姉:山本美憂(女子レスリング選手、総合格闘家)
妹:山本聖子(女子レスリング選手兼指導者)
甥:山本アーセン(レスリング選手、総合格闘家)
2004年2月24日、K-1初参戦となった「K-1 WORLD MAX 2004 〜日本代表決定トーナメント〜」1回戦で 村浜武洋 と対戦。
村浜を相手にK-1ルール初挑戦ながら圧倒的なスピードとパンチ力を発揮、
ノーガードで村浜のパンチを避け、ダウンを奪った後も追撃する2RKO勝利。
だが、試合前から負傷していた右手第二中指骨を骨折し、準決勝を棄権した。
その後、トニー・バレント、安廣一哉、ジャダンバ・ナラントンガラグを総合ルール(安廣のみミックスルール)にて一本・KO勝ち。
そしてナラントンガラグ戦後、リング上からマイクで 魔裟斗 に対戦を要求。
魔裟斗もこれを受け、
2004年12月31日、 K-1 PREMIUM 2004 Dynamite!! で対戦。
1Rに魔裟斗からダウンを奪った直後、金的を貰いダウン。
リプレイが流れた会場では悲鳴が上がるほどのダメージを受け、
実況席からも続行は無理と言われる程であった。
また、完全に視線が下にいっている魔裟斗のリプレイ映像を見て解説の船木誠勝が故意であることを匂わせる発言をした。
インターバルの後に試合は再開されたものの、精彩を欠いたKIDは2Rにダウンを取り返され、判定負け。
2004年8月、モデルの MALIA と結婚。
2005年1月、男児、
2006年11月、女児をもうけるも、
2009年8月、離婚。
子供はMALIAが引き取った。
2005年5月4日、K-1 WORLD MAX 2005のスーパーファイトにてK-1ルールで出場。
マイク・ザンビディスと対戦し、右フックでキャリア初のKO負けを喫した。
2005年7月6日、HERO'S 2005のスーパーファイトでイアン・シャファーと対戦し、TKO勝ち。
2005年9月7日、HERO'S 2005ミドル級(-70kg)世界最強王者決定トーナメント出場。
準々決勝で ホイラー・グレイシー と対戦し、右フックで失神KO勝ち。
準決勝では 宇野薫 をパンチで出血させ、ドクターストップでTKO勝ち。
2005年12月31日、K-1 PREMIUM 2005 Dynamite!!出場。
トーナメント決勝戦で 須藤元気 と対戦し、
右フックのダウンからパウンドの連打で1RKO勝ちを収めトーナメント優勝を果たし、
キャリア初のベルト戴冠となった。
この試合の決着場面において「レフェリーストップが早かったのでは?」という指摘が須藤とファンから挙がったが、
後日にTBSで放送された格闘王で、
レフェリーストップ直後に立ち上がった須藤の脳が揺れて足元がふらついてコーナーまでよろめいている映像が放送され、
事なきを得た。
須藤も後に「ストップされた時は、(ダメージがあったため)あまり覚えていない」と語っている。
[HERO'S ミドル級決勝] 2005.12.31 山本KID徳郁 VS 須藤元気
http://youtu.be/Wp77rtvHsvc
2006年5月3日、HERO'Sで 宮田和幸 と対戦し、開始4秒の左跳び膝蹴り一発で失神KO勝ち。
この膝蹴りで宮田は下顎骨を骨折する重傷を負った。
試合後のマイクでは「ヤバイ、かっこ良すぎる、俺」と自画自賛した。
2006年7月23日、レスリングに復帰し、2008年の北京オリンピック出場を目指すことを宣言。
プロ格闘家活動を一時休止する。
2006年12月31日、K-1 PREMIUM 2006 Dynamite!!で総合格闘技のリングに一時復帰。
アテネオリンピックレスリング・グレコローマン55kg級金メダリストのイストバン・マヨロシュと対戦し、
スタンドパンチ連打でKO勝ち。
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出演 : 山本“KID"徳郁, 村浜武洋, トニー・ヴァレント, 安廣一哉, ジャダンバ・ナラントンガラグ
2007/1/26
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2007/1/26
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2007年1月28日、天皇杯平成18年度全日本レスリング選手権フリースタイル60kg級2回戦で
アテネオリンピック銅メダルの井上謙二(自衛隊)の巻投げで右肘を脱臼、
試合開始16秒でフォール負けを喫した。
2007年6月、北京オリンピック出場に望みをかけレスリング明治乳業杯全日本選抜選手権に出場を予定していたが、
肘の脱臼が完治せず、練習も満足に出来ていないため出場を取りやめた。
2007年12月31日、K-1 PREMIUM 2007 Dynamite!!でハニ・ヤヒーラと61kg契約で対戦。
ヤヒーラのグラウンドには付き合わずスタンドでの攻防となり、最後は左フックでKO勝ち。
2018年8月26日、自身のInstagramにてがんの闘病中であることを公表した。
のちに胃がんを起因とするがんの全身転移だったことが明かされている。
2018年9月18日、多臓器不全で死去、41歳没。
スカパー ! [公式] さんが 2018/12/03 に公開
BAZOOKA!!!#249「忘れてたまるか 山本"KID"徳郁」特別編集版
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