天龍源一郎 さん

天龍 源一郎(てんりゅう げんいちろう)
 本名:嶋田 源一郎(しまだ げんいちろう)
 リングネーム:
  天龍 源一郎
  天竜
  テン・ルー
  大ハヤブサ
 ニックネーム:
  ミスター・プロレス
  風雲昇り龍
  モンスター大将
  ハッスル大将

1950年2月2日生まれ、74歳。

福井県勝山市出身のタレント、元大相撲力士、元プロレスラー。

所属事務所はMILLENNIUM PRO。

業務提携エクセリング。

多くの同年代レスラーが年齢と共に前座でファンを楽しませる役割に回る、または引退する中、
65歳まで第一線で活躍し続け、
日本のプロレス界において「生ける伝説(Living Legend)」として一目置かれる存在であった。

1963年12月、大相撲の二所ノ関部屋に入門。

「天龍」の四股名で
1973年1月場所から幕内に16場所在位し西前頭筆頭まで上り詰める。

力士時代はおだてられた部分もあったであろうが周囲から「大鵬二世」と称され、
それだけの大器として期待されていた。

大鵬幸喜 と昵懇だった元東京タイムズ記者の森岡理右(後筑波大学名誉教授)と出会い、
森岡がブレーンを務めていたジャイアント馬場を紹介され、
プロレス転向を決意。

1975年10月、全日本プロレスへ入団。

デビュー当時のリング名は単に四股名と同じ「天竜」。

1976年11月13日(土曜日)にテキサス州にてテッド・デビアス戦でデビュー
 アメリカ時代のリングネームは「テン・ルー」。

1976年12月5日、日大講堂(初代両国国技館)においてリング上で断髪式を行う。
 止め鋏は馬場が入れている。

1977年6月11日、
東京・世田谷区体育館における馬場と組んでのマリオ・ミラノ&メヒコ・グランデ戦で、
グランデをフォールして初陣を白星で飾る。

1981年7月30日、
交通事故の後遺症で緊急帰国したディック・スレーターの代打として
ビル・ロビンソンのパートナーに起用され、
当時の王者組の馬場・鶴田組保持のインターナショナル・タッグ王座の挑戦をした
ことを契機に飛躍のきっかけを掴む。
 天龍自身も「あの試合が俺の真打昇進の試合だった」と語っているように、
 この試合以降から評価も急上昇。
 全日本プロレス第3の男風雲昇り龍 としてブレイクする。

このインター・タッグ戦から、
天龍はライバル団体である新日本プロレスの総帥のアントニオ猪木に遠慮して、
全日マットでは誰も使っていなかった 延髄斬り卍固め を使い始め、
全日本で異彩を放つようになっていく。

この年の秋にはNWA世界王者 リック・フレアー への挑戦権も獲得した。

1983年の世界最強タッグ決定リーグ戦では
鶴田との 鶴龍コンビ を結成してリーグ戦に挑み、
11月30日の馬場&ドリー・ファンク・ジュニア戦では
「馬場の生涯最後の32文人間ロケット砲」を受けている。
鶴龍コンビはリーグ最終戦まで得点単独1位だったが、
最終戦でスタン・ハンセン&ブルーザー・ブロディのミラクルパワーコンビに敗れ優勝を逃した。
しかし師匠の馬場&ドリーと同点2位という成績は、
全日本エースの世代交代を印象づけるものとなり、
この年のプロレス大賞の最優秀タッグチーム賞を受賞した。

シングル戦でも頭角を見せ、
1984年2月、 リッキー・スティムボート との王座決定戦に勝利し
UNヘビー級王座のタイトルを獲得する。

1986年10月2日、阿修羅・原とシングル戦で引き分けたことを契機に、
長州離脱後には全日本マットの活性化を目指して 龍原砲 を結成。
 「最終目標は新日マット参戦」と掲げた。

その後 天龍同盟 を結成(構成員は原、サムソン冬木、川田利明、小川良成)。
 REVOLUTIONを旗印とした「地方でも決して手を抜かない」をテーマにした闘いは、
 やがてファンの大きな支持を得るようになった。
 特に鶴田とのシングル対決は 鶴龍対決 と呼ばれ全日本プロレスのドル箱カードとなり、
 1987年、1989年のプロレス大賞ベストバウト賞を獲得するなど、
 長州離脱後に人気が低落した全日本プロレスを盛り立てた。

1989年6月、鶴田とのタイトルマッチを制し 三冠ヘビー級王座 を獲得、第2代王者となった。

1989年11月、
スタン・ハンセンと組んでの馬場&ラッシャー木村とのタッグ対決において、
入場時に馬場を奇襲、
孤立した木村を戦闘不能にした上で復活し孤軍奮闘する馬場からパワーボムからのエビ固めで、
ハンセンと二人がかりながら日本人では初めて馬場からピンフォールを奪った。
天龍は試合後、当時人気絶頂であったUWFの東京ドーム大会が同日に開催されていたことを意識し
「今日の勝利はドームより重い」と発言し語り草となる。
ハンセンとのコンビは、世界最強タッグリーグ史上初の全勝優勝を飾った。

1990年4月13日の東京ドームでの
全日本・新日本・WWFとの合同興行 「日米レスリングサミット」 では
ランディ・サベージと対戦し、
まったく毛色の異なる両者でありながら、同興行のベストマッチと言われる名勝負を展開した。

1990年、横浜文化体育館大会において鶴田とのシングルマッチに敗れたのを最後に
全日本を離脱し、
SWSに移籍した。

Vincenzo プロレス タイガーマスク Tiger Mask Wrestling さんが 2023/08/04 に公開
二代目タイガーマスク 三沢光晴 vs 天龍源一郎 1987.06.01 - Tiger Mask II Mitsuharu Misawa vs Genichiro Tenryu 01.06.1987

https://youtu.be/Xr9I7_8XrS4

ClassicsPuro83 さんが 2021/01/24 に公開
Mitsuharu Misawa & Takeshi Rikio vs. Genichiro Tenryu & Shiro Koshinaka (January 8th, 2005)

https://youtu.be/zhkugFRWeX0

Misawa Forever さんが 2009/06/20 に公開
三沢光晴 vs 天龍源一郎 (2005.11.5 日本武道館) 1/2
http://youtu.be/ICPYlNh9YsU


Misawa Forever さんが 2009/06/20 に公開
三沢光晴 vs 天龍源一郎 (2005.11.5 日本武道館) 2/2
http://youtu.be/llTTlmXJFYU


2015年2月9日、記者会見を開き
「今年(2015年)11月を以てプロレスラーを廃業し、現役を引退する」ことを表明。

oriconofficial さんが 2015/02/08 に公開
「ミスタープロレス」天龍源一郎 現役引退会見 全容

https://youtu.be/6MOhAANKs3g

2015年11月15日 満員御礼の両国国技館にて、
オカダカズチカとのシングルマッチを最後にプロレスラーを引退。

2016年1月18日(月)よりオンエア、アルバイト情報サイト『フロム・エー ナビ』新TV-CM

2016年2月24日、DVD 『天龍源一郎 引退~Revolution FINAL TOUR~革命継承』 発売予定。

MILLENNIUM PRO さんが 2015/12/18 に公開
天龍源一郎引退記念DVD 革命終焉Revolution プロモーションムービー

https://youtu.be/038s5onfxug


2016年8月31日、著書 『完本 天龍源一郎 LIVE FOR TODAY ‐いまを生きる‐』 (『瞬間(いま)を生きろ!』の増補改訂版 竹書房)


SHOSEN CHANNEL さんが 2016/08/31 に公開
『完本 天龍源一郎 LIVE FOR TODAY‐いまを生きる‐』発売!!☆書泉チャンネル

https://youtu.be/mFcydhcQ23w

2017年2月4日、映画 『LIVE FOR TODAY-天龍源一郎-』 公開。

moviecollectionjp さんが 2018/03/08 に公開
桐谷美玲、出川哲朗、天龍源一郎がゼロをテーマに盛りまくる!「隠れひょっこりはん」を探せ!/ソフトバンク「ワイモバイル」CM「ワイモバ学園」シリーズ「盛り盛り写真部」篇(30秒)

https://youtu.be/kSfdNvV4Y3U



アントニオ猪木「最後の闘魂」 さんが 2020/03/05 に公開


https://youtu.be/aOnnhbBo0tE

ザテレビジョン さんが 2021/02/08 に公開
長州力・天龍源一郎、火花散らすさば対決!?食レポで競い合う 『3月8日さばの日 さば対決』予告

https://youtu.be/qJYPukhOLbQ

東スポチャンネル さんが 2021/12/08 に公開
【天龍源一郎×神取忍】伝説の一戦をふり返る

https://youtu.be/uV6SPQgHmHA

moviecollectionjp さんが 2022/01/10 に公開
長州力、天龍源一郎、藤波辰爾の早口じゃがじゃがカミ動画/東ハト「あみじゃが・ぼうじゃが」WEB動画
https://youtu.be/NWUHSjqNdNI


2022年9月2日、広範囲にわたる頸髄損傷のため
「突然死のリスクが非常に高い状態である」
との診断を受け入院していることを明らかにした。
 正式な病名を「環軸椎亜脱臼に伴う脊髄症・脊髄管狭窄症」と公表。
 2か月間は頸椎を固定する「ハローベスト」を装着しリハビリに努め、
 2023年1月には自宅に一時帰宅するなど回復の傾向を見せた。

2022年2月12日には新木場1stRINGで天龍を支援する興行『天龍祭~天龍源一郎AID』の開催が決定し、
さらに同月19日の日本プロレス殿堂会主催イベントの来場へ向け、
リハビリを続けていた。
しかし、
2022年2月11日に敗血症性ショックのため緊急手術を行った事を天龍プロジェクトが公表。
 数日前から発熱や血圧の低下が見られたため、
 緊急性の高い状態であると判明し、
 緊急手術を行い成功したものの集中治療を受けている状態とされた。
 6月時点では主治医の許可を得て週刊誌系インターネット記事の取材に応じられる段階まで回復。
 6月22日、退院。

#天龍源一郎 YouTube

天龍源一郎【official】 (tenryu_genichiro) Instagram

天龍源一郎-天龍プロジェクトオフィシャルサイト

天龍 源一郎 MILLENNIUM PRO

天龍源一郎オフィシャルブログ「天龍源一郎の人生腹いっぱい」 Ameba Blog

天龍源一郎/オフィシャルサイト



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