ジョージ・スティーヴンス さん

ジョージ・スティーヴンス(George Stevens)

1904年12月18日生まれ、
1975年3月8日、満70歳没。

アメリカ合衆国カリフォルニア州オークランド生まれの映画監督、映画プロデューサー、脚本家、撮影監督。

1933年、監督デビュー。

1935年、キャサリン・ヘプバーン主演の 『乙女よ嘆くな』 がアカデミー作品賞にノミネートされ、出世作となる。

以降、
フレッド・アステアとジンジャー・ロジャースの名コンビを配した 『有頂天時代』
キャサリン・ヘプバーンとスペンサー・トレイシーが最初に共演した 『女性No.1』
ケーリー・グラント主演で冒険活劇『ガンガ・ディン』や
人情喜劇 『愛のアルバム』 などジャンルを問わず娯楽作を世に送り出し、いずれも大ヒットした。

また、
1942年の 『希望の降る町』
1943年の『The More the Merrier』でアカデミー作品賞に連続でノミネートされた。

1948年の『ママの想い出』を皮切りに、
1951年にジョセフ・フォン・スタンバーグ監督の『アメリカの悲劇』のリメイク 『陽のあたる場所』 でアメリカの上流社会を夢見る若者の悲劇を描き、見事アカデミー監督賞を受賞。

1949年製作、1951年公開、1952年9月24日日本公開、
アメリカのロマンス映画 『陽のあたる場所』(A Place in the Sun)
 出演:モンゴメリー・クリフト、エリザベス・テイラー、シェリー・ウィンタース、アン・リヴィア、レイモンド・バー
 アカデミー賞作品賞・主演男優賞・主演女優賞 ノミネート
 アカデミー賞監督賞・撮影賞(白黒)・脚色賞・作曲賞・衣裳デザイン賞(白黒)・編集賞 受賞。

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・ジョージ・スティーヴンスがセオドア・ドライサーの小説「アメリカの悲劇」を見事に映画化した本作は
6部門でアカデミー賞(監督賞、脚色賞を含む)を獲得。
・モンゴメリー・クリフトとエリザベス・テイラーがスクリーンで演じた恋人たちの姿は、
人々の心の中で永遠に生き続けるだろう。

映像特典
・ジョージ・スティーヴンス・Jrとアイヴァン・モファットによる音声解説
・ジョージ・スティーヴンスと彼の「陽のあたる場所」(約22分)
・ジョージ・スティーヴンスの素顔(約45分)
・オリジナル劇場用予告編(約3分)

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finestrasulcortile さんが 2006/10/18 アップロード
A place in the Sun

http://youtu.be/wEuFNnJSIw8

BFITrailers さんが 2013/01/11 に公開
A Place in the Sun (1951) - trailer

http://youtu.be/i9gmAfl7z00

陽のあたる場所 - トピック さんが作成した再生リスト
人気の動画 - 陽のあたる場所
https://www.youtube.com/playlist?list=PL93mjRm0zWgS6furlKKMeysZiRSAmjxUZ


1953年、西部劇の名作 『シェーン』 で少年の視点を通して西部に生きる開拓者とガンマンの交流を描き出した。

1955年、壮大な家族ドラマでジェームズ・ディーンの遺作となった 『ジャイアンツ』 でその名声を決定的なものにした。
 本作では2度目のアカデミー監督賞を受賞、
 アメリカの家庭劇を中心に描いたことから、ドメスティック・リアリズムの巨匠と称された。

映画作りに関しては常に完璧主義者で、
その作風は一つ一つのシーンやショットに画面の美しさと伏線的な効果を求めた為に
、納得するまで何度もテイクを重ねることになり、
ある時にはワン・シーンを撮るのに数ヶ月かかることがあったという。
その為、会社上層部とは常に険悪な仲だったという。

1959年、初めてシネマスコープを採用して『アンネの日記』を発表。

1959年9月8日公開、戦争ドラマ映画 『アンネの日記』  
 監督・製作:ジョージ・スティーヴンス
 原作:アンネ・フランク
 脚本:フランセス・グッドリッチ、アルバート・ハケット
 音楽:アルフレッド・ニューマン
 出演:ミリー・パーキンス、ジョセフ・シルドクラウト、シェリー・ウィンタース、ダイアン・ベイカー、リチャード・ベイマー、ルー・ジャコビ、ダグラス・スペンサー、エド・ウィン 、グスティ・ユーベル、ドディ・ヒース



5年の歳月をかけて製作した1965年の 『偉大な生涯の物語』 以降は目立った活動はしていない。

1970年、ベルリン映画祭で審査委員長をつとめたが、
1966年にベトナムで起こった米兵士による少女レイプ・殺害事件を元にしたミヒャエル・ヘルホーファンの西独作品『O.K.』のボイコットを提案し、
その結果全審査員が辞任。
賞選定も行われないという混乱をもたらした。

1975年、カリフォルニア州ランカスターで心臓発作で亡くなった。

息子のジョージ・スティーヴンス・Jrはアメリカ映画協会の代表職を長年務め、アメリカ映画の保存と後進の育成に尽力した。

ジョージ・スティーヴンス(George Stevens) のプロフィール allcinema



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