冬木弘道(サムソン冬木) さん 

冬木 弘道(ふゆき こうどう)
 本名:冬木 弘道(ふゆき ひろみち)
 リングネーム:
  冬木 弘道(ふゆき こうどう)
  冬木 弘道(ふゆき ひろみち)
  サムソン冬木

1960年5月11日生まれ、
2003年3月19日、満42歳没。

東京都江東区生まれ、神奈川県横浜市育ちの元プロレスラー。

1979年、国際プロレスに入門。
 1980年5月4日、デビュー戦。
 1981年8月9日、国際プロレスが解散。

その後、全日本プロレスに移籍。
  天龍源一郎 の付き人を務めた。
  ジャイアント馬場 の命名により サムソン冬木 に改名。
 1984年11月、海外初遠征。
  川田利明 とのタッグチーム 「ジャパニーズ・フォース」で活動。
 1987年3月、再び海外遠征。
 帰国後、 天龍同盟 に参加。
 川田利明 とのコンビ フットルース を結成。

1990年、全日本を離脱し、 SWS に移籍。
 天龍と共に REVOLUTION の一員として行動。

1992年のSWS崩壊後は WAR に移籍。
 ここでリングネームを本名に戻す。
 冬木軍 として 邪道外道 とのトリオで活躍。



1996年、WARを離脱。

1997年、邪道、外道と共に 冬木軍プロモーション を設立。

1998年、単行本『理不尽大王の高笑い:Fighting for myself』(フットワーク出版)


その後は、 FMW で活躍。
 ミスター雁之助、金村キンタローらと TNR(チーム・ノー・リスペクト) を結成し、
 大仁田厚 を FMW から追放することに成功。
 その後も ハヤブサ ら正規軍を苦しめる。

2002年2月のFMWの経営破綻後、3月に自ら主催する団体として WEW を設立。

2002年4月7日、プロレスリング・ノアで15年ぶりに 三沢光晴 とシングル戦を行い、
 正統派のプロレスでも改めて高い技術を見せて冬木健在を誇示。

TigerMask69 さんが 2009/06/16 に公開
三沢光晴 VS 冬木弘道(2002年4月7日)

https://youtu.be/PtqnTPLZNZM

その2日後、冬木軍主催興行の試合後に大腸癌を理由に引退表明。
 その一報と病状を聞いた三沢は、冬木の引退興行を開催することを発表し、
 ノアの全面協力を受けて、冬木はリングで引退試合を行った。

2003年3月19日、横浜市民病院でがん性腹膜炎のため死去、42歳没。
 葬儀の場では、敵対関係であった ハヤブサ までもが号泣していた。

得意技:
 地団駄ラリアット
 サムソンストライカー
 冬木スペシャル
 冬木スペシャル2
 サムソンクラッチ(冬木スペシャル3)
 マッチョバディ・ボム
 フィッシャーマン・バスター
 バックドロップ
 ジャーマン・スープレックス
 バックスピンキック
 奇声ストンピング

2014-09-28 『日本のプロレスを変えた賢者-冬木弘道【俺達のプロレスラーDX】』 ジャスト日本のプロレス考察日誌



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