淀川長治 さん
淀川 長治(よどがわ ながはる)
愛称:「ヨドチョーさん」「ヨドさん」「サヨナラおじさん」
1909年4月10日生まれ、
1998年11月11日、満89歳没。
兵庫県神戸市兵庫区西柳原町出身の雑誌編集者、映画解説者、映画評論家。
1927年、上京した際、かねて投稿を行っていた雑誌『映画世界』(南部圭之助編集長)の社員募集を見て、編集部へ出向きそのまま採用され、編集者として活動。
1933年、UA(ユナイテッド・アーティスツ)の大阪支社に入社。
大阪支社勤務時代の1936年2月、来日した との会談に成功している。
その後、淀川は日本におけるチャップリン評論の第一人者と言われる。
1938年、 『モダン・タイムス』 封切に伴う宣伝体制強化を受けて東京支社に移り、
ジョン・フォード監督の 『駅馬車』 の宣伝などを担当する。
1941年12月の日米開戦後の1942年、東宝映画の宣伝部に就職。
この時期、後に世界的な映画監督となる 黒澤明 と出逢い、二人は生涯の親友となった。
1945年の第二次世界大戦終結後、アメリカ映画の配給会社セントラル映画社(CMPE)のレクチャー部に勤務。
1947年、映画世界社(1961年、映画の友社と改称)に入社し、
雑誌 『映画の友』 の編集に携わり、
映画解説者・映画評論家として活動を開始。
『映画の友』時代の部下には 小森和子 、写真部長には有名なカメラマン早田雄二がいた。
なお、1951年、『映画の友』の仕事でハリウッドに向かった淀川は、
東京国際空港からホノルル国際空港へ向かうパンアメリカン航空のボーイング377の機内で クラレンス・ブラウン 監督と邂逅し、
機内のラウンジで話し込んだほか、
ハリウッドに滞在していた際には、
アカデミー賞にノミネートされていた黒澤の 『羅生門』 の代理出席者として、授賞式に招待された。
1948年、映画好きの若者を集めて 「東京映画友の会」 (当初は「『映画の友』友の会」)を結成。
1993年まで映画の魅力を教え続けた(「友の会」は現在も、他メンバー主催で継続)。
1960年~1963年、NETテレビ(現:テレビ朝日)で放送された海外ドラマ 『ララミー牧場』 の解説で脚光を浴びた。
1966年10月1日~1998年11月15日(番組開始から死の前日(1998年11月10日)までの32年間)、
テレビ朝日(旧:NETテレビ)系列 『日曜洋画劇場』 (当初は『土曜洋画劇場』)解説者。
淀川長治の名画解説DX|株式会社ポニーキャニオン
ponycanyon さんが 2012/01/18 に公開
日曜洋画劇場45周年記念 淀川長治の名画解説DX
https://youtu.be/8IhWMofnD3c
著書 『淀川長治自伝』上下(中央公論社/中公文庫)
著書 『私の映画遺言』(中央公論社/中公文庫)
元版は「私の履歴書」
1997年、著書 『わが映画人生に悔なし』(ハルキ文庫)
わが映画人生に悔なし (ハルキ文庫) 文庫 – 1997/7
淀川 長治 (著)
![](https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/I/510N0ADY37L.jpg)
Amazon.co.jp
1999年、著書 『映画が教えてくれた大切なこと』(扶桑社文庫)
1999年、著書 『名作はあなたを一生幸せにする サヨナラ先生の映画史』 (近代映画社)
遺作の1つ。
山中達雄 さんが 2018/12/29 に公開
AC CM 淀川長治
https://youtu.be/aY3jKhYXkus
1998年9月6日、生涯の親友であった 黒澤明 が死去。
棺の中の黒澤に向かって「僕もすぐに行くからね」と語りかけていたという。
1998年11月11日午後8時11分、淀川は腹部大動脈瘤破裂に伴う心不全により、黒澤の後を追うように息を引き取った。
89歳没。
淀川は死の前日(1998年11月10日)にも車椅子で『日曜洋画劇場』のスタジオに入り、
『ラストマン・スタンディング』 の解説収録を行っていた。
病気の影響で声は著しく嗄れており、解説前にその事について触れた上で
「今日はこんなガラガラ声で本当に申し訳ございません」と詫びを述べていた。
この日に行われた収録を、黒柳徹子が見学していた。
スタッフが淀川の体調を気遣って1回でOKを出したところ、
淀川はそれを不満として「汚ない!」と言い、
2回目のOKでうなずいて(病院からのスタジオ入りのため)車椅子でスタジオを出た。
淀川の最後の出演となった1998年11月15日の『日曜洋画劇場』の放送では、
冒頭に特別企画として「サヨナラ 淀川長治さん 89年の輝ける映画人生」のタイトルで、
追悼番組が約30分間流された。
そして、最後の解説の映像が流れた後には
「淀川 長治さん 永い間、本当にありがとうございました。」というテロップが出た。
Urban Dolphin さんが 2013/04/23 に公開
日曜洋画劇場 / ラストマン・スタンディング
https://youtu.be/18p6aXOlxlI
1999年、第36回ゴールデン・アロー賞特別賞受賞。
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人気の動画 - 淀川長治
https://www.youtube.com/playlist?list=PLHS7uCJmiEB5OLx-nZ841vcMbvJ_MkGCB
淀川長治 NHK人物録 NHKアーカイブス
ハッシュタグ #淀川長治 Twitter
東京映画友の会 公式アカウント(@eiga19481030) Twitter
淀川 長治作品一覧、著者略歴 amazon.co.jp
淀川長治の銀幕旅行 産経新聞 ENAK(平成2年から10年まで産経新聞に掲載された連載の再録)
淀川長治:明治、大正、昭和、平成にかけて生涯現役、映画一筋に生きた不世出の映画評論家 淀川長治携帯サイト
淀川長治 世界クラシック名画撰集 IVC
淀川長治の生涯
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淀川 長治(よどがわ ながはる)
愛称:「ヨドチョーさん」「ヨドさん」「サヨナラおじさん」
1909年4月10日生まれ、
1998年11月11日、満89歳没。
兵庫県神戸市兵庫区西柳原町出身の雑誌編集者、映画解説者、映画評論家。
1927年、上京した際、かねて投稿を行っていた雑誌『映画世界』(南部圭之助編集長)の社員募集を見て、編集部へ出向きそのまま採用され、編集者として活動。
1933年、UA(ユナイテッド・アーティスツ)の大阪支社に入社。
大阪支社勤務時代の1936年2月、来日した との会談に成功している。
その後、淀川は日本におけるチャップリン評論の第一人者と言われる。
1938年、 『モダン・タイムス』 封切に伴う宣伝体制強化を受けて東京支社に移り、
ジョン・フォード監督の 『駅馬車』 の宣伝などを担当する。
1941年12月の日米開戦後の1942年、東宝映画の宣伝部に就職。
この時期、後に世界的な映画監督となる 黒澤明 と出逢い、二人は生涯の親友となった。
1945年の第二次世界大戦終結後、アメリカ映画の配給会社セントラル映画社(CMPE)のレクチャー部に勤務。
1947年、映画世界社(1961年、映画の友社と改称)に入社し、
雑誌 『映画の友』 の編集に携わり、
映画解説者・映画評論家として活動を開始。
『映画の友』時代の部下には 小森和子 、写真部長には有名なカメラマン早田雄二がいた。
なお、1951年、『映画の友』の仕事でハリウッドに向かった淀川は、
東京国際空港からホノルル国際空港へ向かうパンアメリカン航空のボーイング377の機内で クラレンス・ブラウン 監督と邂逅し、
機内のラウンジで話し込んだほか、
ハリウッドに滞在していた際には、
アカデミー賞にノミネートされていた黒澤の 『羅生門』 の代理出席者として、授賞式に招待された。
1948年、映画好きの若者を集めて 「東京映画友の会」 (当初は「『映画の友』友の会」)を結成。
1993年まで映画の魅力を教え続けた(「友の会」は現在も、他メンバー主催で継続)。
1960年~1963年、NETテレビ(現:テレビ朝日)で放送された海外ドラマ 『ララミー牧場』 の解説で脚光を浴びた。
1966年10月1日~1998年11月15日(番組開始から死の前日(1998年11月10日)までの32年間)、
テレビ朝日(旧:NETテレビ)系列 『日曜洋画劇場』 (当初は『土曜洋画劇場』)解説者。
淀川長治の名画解説DX|株式会社ポニーキャニオン
ponycanyon さんが 2012/01/18 に公開
日曜洋画劇場45周年記念 淀川長治の名画解説DX
https://youtu.be/8IhWMofnD3c
著書 『淀川長治自伝』上下(中央公論社/中公文庫)
著書 『私の映画遺言』(中央公論社/中公文庫)
元版は「私の履歴書」
1997年、著書 『わが映画人生に悔なし』(ハルキ文庫)
わが映画人生に悔なし (ハルキ文庫) 文庫 – 1997/7
淀川 長治 (著)
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1999年、著書 『映画が教えてくれた大切なこと』(扶桑社文庫)
1999年、著書 『名作はあなたを一生幸せにする サヨナラ先生の映画史』 (近代映画社)
遺作の1つ。
山中達雄 さんが 2018/12/29 に公開
AC CM 淀川長治
https://youtu.be/aY3jKhYXkus
1998年9月6日、生涯の親友であった 黒澤明 が死去。
棺の中の黒澤に向かって「僕もすぐに行くからね」と語りかけていたという。
1998年11月11日午後8時11分、淀川は腹部大動脈瘤破裂に伴う心不全により、黒澤の後を追うように息を引き取った。
89歳没。
淀川は死の前日(1998年11月10日)にも車椅子で『日曜洋画劇場』のスタジオに入り、
『ラストマン・スタンディング』 の解説収録を行っていた。
病気の影響で声は著しく嗄れており、解説前にその事について触れた上で
「今日はこんなガラガラ声で本当に申し訳ございません」と詫びを述べていた。
この日に行われた収録を、黒柳徹子が見学していた。
スタッフが淀川の体調を気遣って1回でOKを出したところ、
淀川はそれを不満として「汚ない!」と言い、
2回目のOKでうなずいて(病院からのスタジオ入りのため)車椅子でスタジオを出た。
淀川の最後の出演となった1998年11月15日の『日曜洋画劇場』の放送では、
冒頭に特別企画として「サヨナラ 淀川長治さん 89年の輝ける映画人生」のタイトルで、
追悼番組が約30分間流された。
そして、最後の解説の映像が流れた後には
「淀川 長治さん 永い間、本当にありがとうございました。」というテロップが出た。
日曜洋画劇場 / ラストマン・スタンディング
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1999年、第36回ゴールデン・アロー賞特別賞受賞。
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淀川長治の銀幕旅行 産経新聞 ENAK(平成2年から10年まで産経新聞に掲載された連載の再録)
淀川長治:明治、大正、昭和、平成にかけて生涯現役、映画一筋に生きた不世出の映画評論家 淀川長治携帯サイト
淀川長治 世界クラシック名画撰集 IVC
淀川長治の生涯
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