豊田穣 さん

豊田 穣(とよだ じょう)
 本名は同じ字であるが、「とよだ みのる」と読む。

1920年3月14日生まれ、
1994年1月30日、73歳没。

満州の四平街生まれの小説家・作家、元海軍軍人(最終階級は海軍中尉)。

第29代・第30代連合艦隊司令長官 豊田副武 とは血縁関係ではないが、
海軍時代に機関長から豊田副武の息子かと聞かれるくらい体格が似ていた。

1942年
 6月、第36期飛行学生を卒業、艦上爆撃機操縦員となる。
 12月、空母 飛鷹 所属となる。

1943年
 4月、い号作戦 に参加のため、ラバウルに移動。
  7日、九九艦爆を操縦しガダルカナル島飛行場攻撃の際、ソロモン方面で撃墜され、
  アメリカ軍の捕虜になる。
  この時、ドナルド・キーンが訊問した最初の捕虜となる。
  アメリカ合衆国本土移送後、捕虜収容所を転々とする。

1946年3月、浦賀に上陸し、帰国する。

1947年、処女作「ニューカレドニア」 発表。


1951年、『ミッドウェー海戦 』で岐阜県文化賞受賞。


1971年、『長良川』 で第64回直木賞を受賞。


1971年10月30日劇場公開、豊田穣の同名小説を原作とする青春戦争映画 『海兵四号生徒』



1976年、『瑞鶴 栄光の空母』(毎日新聞社)


1980年、『空母信濃の生涯』 (集英社)


1981年、この年公開された東宝映画 『連合艦隊』 で、 児島襄 との共同で、映画の企画協力を担当。

1983年、『雪風ハ沈マズ 強運駆逐艦栄光の生涯』(光人社、のち文庫)

雪風ハ沈マズ―強運駆逐艦栄光の生涯
単行本
光人社; 新版 (2000/6/1)


内容(「BOOK」データベースより)
運命とは、命を運ぶ、と書く。
その単純な哲理を信ずることに徹して激戦のさ中に艦と人とを預かり、
豪胆なること山の如く猛きこと火の如く自ら幸運を招きよせる日本海軍随一の“豪傑艦長”その指揮下に団結し努力し、
苦難に堪えてみごとに勝ち抜いた駆逐艦の生涯。
人艦一如の真随を最高度に発揮して緒戦から終戦まで常に太平洋の最前線で戦いつづけた不沈艦の航跡。
直木賞作家の海戦記。

内容(「MARC」データベースより)
人艦一如の真髄を最高度に発揮して、初戦から終戦まで常に太平洋の最前線で戦いつづけた不沈艦「雪風」の航跡を描く。
93年刊の新版。

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1986年、紫綬褒章受章。

1992年、中日文化賞受賞。

1994年、死去。
享年74。

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