昨日は終日橿原市へ、県の総会に出席して、夜は遠雷が気になってPCを開けることができませんでした。
続編を締めておかなくては次の記事を書けません。
これは自分への戒めかな・・・
さて、この日お参りしたのは、奈良県生駒郡平群町の信貴山朝護孫子寺です。
通称信貴山と呼んで、多くの人の信仰を集めています。
信貴山については今まで何度か記事にしていますので、今回は山内にある多くの塔頭にお参りしたところについては省いて、別な面で私の心を捉えた3つのことについて書き残しておくことにしました。



駐車場から石灯籠の立ち並ぶ参道を通って、大寅さんにも敬意を表して、ここは赤門です。
二人のおばさんが、「ちょっと一服していこか。」と門の敷居に腰を下ろして話に夢中です。
長閑でいい風景です。こうして一緒にお参りする友達のいることは、信仰と同時にストレス解消の時間にもなります。



「こんにちは。」山から下りてくる人は挨拶してくれます。
お参りを済ませて気分もすっきりして穏やかなのでしょうね。
今度は、私のほうからであった人に挨拶しようと思いながら登って行きました。

人と出会う前に公孫樹の巨木と出会いました。
「千手院」へ行く分かれ道に、この銀杏を示す表示板が立っていました。
樹齢約五百年の公孫樹が植わっています。木の枝振りが千手観音菩薩の沢山の手の様に見え、また、木の形が仏様の合掌された両手に似ている所から、千手の公孫樹「仏手白果(ぶっしゅはつか)」と名付られています。なお、この銀杏は中国産の品種ですが昭和58年7月に偶然発見されて、それまでは日本で宮崎県高千穂の岩戸神社の境内にある1本だけが知られ、我が国で2本目の極めて珍しい銀杏の巨木です。(これは説明文に書いてありました。)
2枚の写真を繋ぐつもりで撮っておけば良かったなぁと、根元の方と上の枝の方を、こうして並べてみました。






公孫樹の巨樹から少し行くと、今度は榧の木です。幹周/4.02m、樹高/24m、樹齢/伝承1500年。
榧の木は本堂への参道の脇にあり「かやの木稲荷稲荷大明神」の額が掲げられ神木として祀られていました。榧の木の伝承として、1500年前曾我氏と物部氏が争っていた時代に若芽が誕生し、その100年後に聖徳太子が物部守屋討伐のためにこの地に毘沙門天を刻み戦勝を祈願したといいます。



仁大門です。
今までは駐車場から赤門に通じる参道ばかりを通って、お参りしていたので、ここは初めてでした。
山内の境内見取り図を見ていると、千体地蔵尊と言う表示がありました。そこへも行ったことがなかったので、案内図を見ながら、歩いていくと仁王門と出会いました。



全てのお地蔵さんに涎掛けを掛けてあります。
一体一体大切にお祀りされているのでしょう。
このお地蔵さんの由来については分からなかったのですが、仁王門の外に祀られていることも、何か訳があるのかしらと思いながら、地蔵菩薩の真言を21回唱えてお参りしました。


信貴山の神仏がそういって迎えてくれたような、爽やかな気持ちで新緑の山を降りました。