夕日地蔵
般若寺近くを散策した。
最初に行ったのが「夕日地蔵」だ。
3枚の画像をコラージュした。
このお地蔵様の表情が良い。
泣いているのか笑っているのか、見る人の心によって受け取り方が変わるようだ。
お相撲さんに、このような表情の人がいる。(名前がすぐ出てこない)

この辺り一帯は中世「般若野」と呼ばれた三味地(墓)で、その入り口に立つお迎え地蔵として1509年造立されているそうだ。
(般若寺発行・般若寺への道より)

ならざか の いし の ほとけ の おとがひ に こさめ ながるる はる は き に けり 
(奈良坂の石の仏の頤に小雨流るる春は来にけり)・奈良の仏をこよなく愛した歌人 会津八一の短歌があり感動した。




道路からの北山十八間戸
道路に沿ってびっくりするほどの長い漆喰壁と木の板塀のような建物がある。

鎌倉時代に忍性上人によって建てられた、唯一最古のハンセン病などの重病者を保護・救済した福祉施設。
大正10年3月3日、国の史跡に指定された。



北山十八間戸についての説明板
各板塀に「北山十八間戸」と書かれているので、板塀ではなく板戸なのだと分かった。

東西約37メートルあり、内部は18室に区切られている。
1室の広さは2畳ほど(1室のみ4畳ほど)で収容者に衣食住を提供した。
その数はのべ1万8千人といわれる。(ウィキペディア フリー百科事典)



北山十八間戸の内側
管理人さんに言って建物の内側に入れてもらった。
部屋は閉じられていたが、18の部屋に区切られた空間であることが内側からだとよく分かる。
奈良の福祉施設の発祥の地であるのではないかとふと思う。



庭から見える大仏殿の屋根
この建物から、街の屋根の遥か向こうに大仏殿の屋根が見える。
鎌倉時代だと遮る物がもっと少なかったに違いない。
想像に過ぎないが、当時は治癒の希望もなく体を病んだ人が、
大仏様にすがるような思いで、この屋根に向かっていたのではなかろうか。

日野~八王子