拝殿




天智天皇は669年、鎌足が重病であることを知って、自ら見舞われた。
後日人臣最高位を授けて、藤原の姓を贈った。

藤原氏の始まりである。

鎌足は亡くなった後、御墓は摂津の国阿威山に造られたが、678年唐より帰国した長男定慧和尚が。ここ多武峰に改葬した。

藤原鎌足の木造
定慧和尚は、父鎌足の供養のために、十三重の塔と講堂を建て妙楽寺と称した。

さらに701年、方三丈の神殿を建てて、鎌足の像を安置したという。
これが、談山神社創めである。

子としての鎌足への思いのあつさを、檜皮で葺かれた重厚な十三重の塔を見上げる時、単に親への思いでなく、当時の世相や、以後繁栄の坂を登る藤原氏の礎として必須の事業であった様な気がする。

あくまでも古代への私見であるが・・・


関東地方の方昨夕の大きい地震、お見舞いいたします