腕白盛りの小学3年生の子達と、国語の時間学習した、「花咲かじいはおいしゃさん」。枯死寸前の桜の巨樹の根に、238本の若い山桜の根を一本一本、丁寧に、根接ぎをした年老いたお医者さんに、子供たちと一緒に感動した。昭和53年くらいのころの事であった。桜の咲くのは4月。この頃は新学期でとても見に行けない。退職したら・・・と思い続けていた。



この文の著者菊池正さんは
「根尾川に雪解けの水が流れるのを待って、ふっくらとももいろのつぼみをふくらませ、あたたかい春の太陽をあびていっぱいにうすくれないの花を咲かせ、やがてうすずみ色にそまってちっていきました。」
こう書いている。
この花の季節の中で、私の出逢った淡墨桜は、「うすくれないの花」の盛りだった。

春の青空を掴むように広がった枝の先々までいっぱいに花をつけているさまに、繋がれた命を謳歌しているように見えた。



この太い幹の下にしっかりと根を張って幹を支え、毎年花を咲かせているのは、枯死寸前の僅かに残った生きた根に繋がれた、山桜の若い根だったのだと幹を見ながら、その地面の下の生命力に思いを馳せた。

と同時に、昭和24年3月10日から4月5日まで、細い根接ぎの作業をした医師前田利行氏や共に作業をした人の必死の思いや、この桜を守った村の人々、行政の援助などの結集が、この太い幹に刻まれていると感じた。




傍に寄ったり、離れてみたり、ずいぶんながい時間淡墨桜と過ごすことが出来た。
山の緑をバックにした桜は一際存在感がある。
この花の散る時、薄墨色に染まって散っていくのだろうか、見たいような気もするが、やはり華やいで咲いている今が一番いいように思った。
いい時期に案内してくださったSさんには、事毎に感謝である。