ついに明らかにされた、竹中平蔵の少年時代の秘密
2005年9月5日(古いです。)
橋下さんと通じる部分が、あります。

竹中

(以下、抜粋)

「父親は小さな履物小売商をやっていた普通の商売人なんですが、父を見てると、世の中が不公平に見えるわけですね。父親はこれだけ苦労をして一所懸命働いてるのに金持ちになれない。もっと楽してお金儲けしている連中が一杯いるのに・・・・。どうやったらもっと住みやすい、よい世の中になるんだろう」(中略)


同級生から「緻密で冷静」と評されていた竹中が別の側面を見せたのは、六七年十一月、和歌山市で「第四回全国高校生部落問題研究会」が開かれた時のことだった。十七都府県二百三十二校から二千三百名が結集した会場に高校二年生の竹中も足を運び、各分科会を精力的に回り、発言していたという。(中略)


周囲が驚いたのは、その集会で、和歌山のある集落の出身者がひどい就職差別を受けたという報告があったときのこと。竹中の顔が怒りでみるみる真っ赤になったのである。


『リベラルタイム』(2005年10月号)

「貧困と差別」に憤った少年期-2000名中の3,4番

田中幾太郎(22-23ページ)

(引用終わり)


この田中氏のルポではこれまで知られていた、竹中大臣の生い立ちのエピソードとは変わった一面が紹介されているのだ。彼は3人兄弟の次男として和歌山市に出生。一橋大学に進学する18歳にまで同市内で過ごした。学園紛争が原因で東京大学の大学入試が実施されず、彼は一橋大学に進学し、開銀に入行するわけである。


この田中氏のルポでは、竹中少年が、「部落差別問題」に非常な関心を抱いていたこと、履物商をやっていた父親が、貧しい生計を立てていたことについて描かれている。


竹中という人は、もともと頭は良かったものの、苦学生であり、貧困問題について真剣に考えていた。開銀に入行したのは、高度経済成長理論の生みの親である、官庁エコノミスト下村治氏に憧れたため、ということは既に説明した。


記事は、その和歌山市内は現在は、行政改革の「地方切り捨て政策」によって疲弊し、現在の日本に跋扈する「ヒルズ族」や外資系の進出、そのマネーゲームの現状について触れて、「これが差別と貧困を憎んだ竹中が目指したものだとすれば、『変節』との謗りは免れえない」と締めくくっている。


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ここで私達が知ることができるのは、竹中大臣には「二度の屈折」があったということだ。


一つ目は、部落差別という、いわれなき差別に怒り憤り、自分の貧しい生活をくやしんだ少年時代。もう一つは、竹中ほどの優等生であれば、受験すれば合格したであろう、東京大学の受験が叶わず、1ランク下の一橋大学に入学した、ということである。当時の官僚の出世コースといえば、東京大学が当たり前の時代であった。大蔵本省ではなく、開銀に入行したというのも、単に下村に憧れただけではないだろう。


東大進学が日本のエスタブリッシュメントの出世のステータスになっているということだけをテーマにした本も出ているくらいだ。(この本は表紙にでかでかと「東大」と漢字で書いてあって笑える)


竹中大臣と郵政民営化委員会でやり合った、小泉龍司氏(埼玉11区で出馬中)は、東大法学部出身の大蔵官僚である。いわば、日本のエスタブリッシュメントの頂点に立った人物だ。


この小泉氏は、自民党橋本派の政治家で、日本では珍しく真っ向から、EU型のソーシャリズムを提唱している。だから、地方切り捨てに繋がりかねない郵政民営化法案には当然反対であった。


小泉氏は、これまでも何度も紹介したように、竹中大臣と同じ頃に、コロンビア大学に大蔵省の一員として送り込まれた人物である。小泉氏と竹中氏はそれぞれ、アメリカの影と光を見てきた。


再びの引用になるが、小泉氏の発言。


(引用開始)


○小泉(龍)委員 小泉龍司でございます。


 ちょうど十四年ぐらい前になるんですけれども、私も財務省から出向の形でニューヨークのコロンビア大学に留学をしておりました。ちょうど竹中大臣も、私も客員研究員だったんですけれども、同じ客員研究員で、机を並べたというほど近くはありませんでしたけれども、同じ時期にアメリカというものを見てきたわけでございます。竹中大臣は当時から流暢な英語をしゃべられた。私は英語が大変苦手でしたから、そこから道が分かれるんですね。


 きょうは、正反対の立場から、こうして十四年ぶりに、もちろん日ごろ対面はしておりますけれども、議論をさせていただくことになった。どうしてこういうふうに道が分かれたんだろうということを考えてみました。私はアメリカの悪い部分を見、大臣はアメリカのいい部分を見てこられたと思うんですね。


 アメリカの悪い部分。当時、既にアメリカのトップ一%の高額所得者というのが、全米の国富の、これは土地も金融資産も含めて、四〇%をひとり占めしておりました。ちょうど私が選挙に出たころです。そして今、その占有比率は五〇%に高まってしまっている。(中略)


 私がコロンビア大学で学んだのは、この厳然たる事実でございます。もうかるところしか投資をしない、やがて地方は切り捨てられる。これはちょうど郵政民営化の議論とダブるんですね、同じになる。コミューター航空の補助は基金とそっくり、こういう思いが私にはありまして、自民党の部会で、最初はそれほどこだわりを持たずに議論に参加しておりましたけれども、政府とやりとりする間に、どうもこれはおかしいんじゃないかと、かたい反対論の方に私は流れていったわけでございます。


162-衆-郵政民営化に関する特別…-5号 平成17年05月31日

(引用終わり)


この小泉龍司氏の発言は実に深い。

小泉氏は竹中先生は英語ができたから、アメリカに認められたんでしょう。私はできなかったから、通訳として役に立たないとアメリカに判断されたわけで、その結果アメリカの手先にはなりませんでしたよ、という含意がある。


しかし、小泉龍司氏は、日本の最高級のエスタブリッシュメント・インナー・サークルの東大法学部卒業の大蔵官僚であったから、自分の張るべき根というものを持っていたからこそ、竹中のようにはブレがなかったともいえる。


竹中が入れなかった東大インナーサークルはその意味では、海外から好奇の目で研究されるほどの存在であり、奇異な存在であったのだろう。アメリカはそのあたりをしっかり研究していたのである。ジャパノロジストの研究の成果を、日本攻略のために使ったのだ。


東大のインナーサークルの周辺部に存在するような、慶応・一橋出身者で見込みのありそうな奴をアメリカで捜し出して、「エージェントに育て上げろ」という秘密の、暗黙のプランがあったはずである。同盟国であっても研究しつくすアメリカの恐ろしさというものがここにある。


だから、竹中大臣は、二重の屈折の中を生きて、仕方なくアメリカを“てこ”にして出世街道を走らざるを得なかったのだ、ともいえる。これが竹中本人の「主観的な真実」であろう。しかし、客観的な事実はといえば、やはり竹中平蔵という人間は、アメリカのジャパン・ハンドラーズたちが育て上げたエージェント、手先であり、アメリカの外資やハゲタカのために日本の国を売り渡す売国奴以外の何物でもない。


米経済紙、『ウォール・ストリート・ジャーナル』の8月26日付け記事では、郵政民営化によって、外資がどれだけのビジネスチャンスを得るのかということについて、明確に金額を上げて期待感を表明している。


この中で、シティーグループは、郵貯・簡保の民営化によって、国債、地方債、社債を含む日本の債券市場から一兆三千七百五十億ドルが流出すると試算。投資家は有利な運用先を探すが、千二百七十億ドルは米国債へ、六百四十億ドルが欧州のユーロ債へ、五千二百十億ドルが日本の株式市場に向かうとみている。1ドル百円換算でも、12兆円ほどの金額が米国債の"投資”に流れ出す計算である。これを日米の金利差をつかって、合理的に実行するつもりである。2001年度での米国の黒字と同じ金額である。さらに簡保に対する資産運用でさらに米国債投資は膨らむ。これがアメリカの戦争体勢と、社会保障のコストを負担する形になっている。日本は金利が低いので資金が流れ出してしまうわけである。


これだけの金額を国内の無駄ではない有意義な公共投資を慎重に選び抜いて実行すれば、日本の内需拡大政策に確実に寄与するはずである。それ以外にも、再保険契約、窓口での外資製品の販売などメリットはたくさんある。郵政民営化をアメリカが熱心に推進する理由である。これでもアメリカの陰謀などは眉唾だという人がいるだろうか?