鬼婆の悲しい真実 | 平成の仙臺四郎のブログ

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旅人の生き肝を食う“鬼婆伝説” ━━
“コジッコジッ…鬼婆は包丁を研いだ”
子どもの頃に聞いて わりと怖くなったものだが…
「東北サファリパーク」の帰り道に   鬼婆の黒塚に立ち寄った

能や歌舞伎などでも演目で登場するほど有名なので 知らない人は少ないだろうが…
昔  奈良時代の京の屋敷に「岩手」という乳母がいたそうな
「岩手」には…かわいい愛娘がおったが…“不治の病”  今でいえば難病だった  医者からも見放され  藁にもすがる想いで易者に視てもらったところ…
“妊婦の生き肝を食べさせたら治る”
そう言われ その言葉を信じて京の街を旅立ち  奥州の安達ヶ原までたどり着いた

木枯らしが吹きすさぶ寒い晩秋の夜のことやった
伊 駒之助・恋衣と名乗る若夫婦が…一夜の宿を求めて 「岩手」の岩屋を訪ねたそうな

「岩手」は本来は心優しい女性
この時も優しく二人を招き入れた
よく見ると…恋衣は妊娠指定不要だ
「岩手」はゴクッと喉を鳴らした

囲炉裏にあたり 世間話をしていると… その時じゃった!
急に恋衣が産気づいて  駒之助に山の麓まで産婆を呼びに走らせた

「岩手」は…“遅くなったが  これで娘を助けられる❗”
そう思い  一気に恋衣の原に出刃包丁をふるい 裂いた

虫の音のようになった恋衣が…
“私たちは今…  昔京都で生き別れになった母を探し歩いているのです”
と 呟いた  

恋衣は…首からお守り袋を下げていた
それは…ボロボロになったお守り袋だが  紛れもなく  昔「岩手」が“早く病気が治るように”
と 愛娘にあげたものだった

殺めたのは…自分が助けようとした大事な愛娘だった
と同時にかわいい孫までも殺めてしまったのだ

「岩手」は気が狂い鬼になってしまったそうな

「観世寺」の境内には…鬼婆が棲んでいたといわれる岩屋がある

鬼になった「岩手」は…この岩屋で次々と旅人を殺めては肉を食べたという

726 (神亀3) 年 ━━
紀州(今の和歌山県)熊野の僧侶・東光坊 祐慶が 一夜の宿を求めて鬼婆のこの岩屋を訪ねた

鬼婆は…“絶対に部屋を覗くな!”
と言い残して出かけた
何度も何度も言うので東光坊は不思議になり 部屋を覗いてしまった!
するとそこには…無数の人骨が無造作に重ねされていた
さすがに怖くなり 東光坊は逃げ出した

それに気づいた鬼婆は…物凄い形相と速さで追いかけてきて 東光坊は捕まってしまった
“もはやこれまで!”
覚悟を決めると…

白真弓如意輪観世音菩薩が現れ 大光明を放ち 鬼婆を退治したという

鬼婆が殺めた出刃包丁を洗ったという血の池も境内にあり
宝物殿資料館には…鬼婆が使った出刃包丁ゃ東光坊などに関する資料も展示されている

すぐ近くには…退治された鬼婆を東光坊が手厚く葬ったというお墓(黒塚)がある
また…三十六歌仙の一人 平 兼盛が…
“みちのくの  安達ヶ原の黒塚に
鬼こもれりと  聞くはまことか”
と 911年に詠んでいる