過去の記事で書き尽くしていることですが、改めて整理のために顕正会の邪義を破しておきます。
まずは国立戒壇についてです。
顕正会が日蓮正宗が国立戒壇否定した根拠にしている昭和45年5月 創価学会の総会での日達上人様の御指南からです。
明治時代には、国立戒壇という名称が一般の人に理解しやすかったので本宗も使用したが、もとより明治以前には、そういう名称はなかったのである。よって、いらぬ誤解を招いて布教の妨げとならぬよう、今後は国立戒壇という名称は使用しないことにする。
この御指南を素直に読めば、日達上人様が「御遺命の戒壇を建てない」とは一言も言仰せ出ないことは明らかです。あくまでも、国立戒壇という名称は使わないというだけです。
そして、正本堂を御遺命の戒壇と位置付けたと根拠としている昭和47年4月の訓諭から一節です。
正本堂は、一期弘法付嘱書並びに三大秘法抄の意義を含む現時における事の戒壇なり。
即ち正本堂は広宣流布の暁に本門寺の戒壇たるべき大殿堂なり。但し、現時にあっては未だ謗法の徒多きが故に、安置の本門戒壇の大御本尊はこれを公開せず、須弥壇は蔵の形式をもって荘厳し奉るなり。
「現時にあっては未だ謗法の徒多きが故に」って言葉からして、日達上人様は広宣流布していないことを示されています。「蔵の形式」という言葉からしても、正本堂は本門戒壇の大御本尊様を御護りする蔵の位置付けである建物なんです。
自分達が論拠としている日達上人様の御発言を素直に拝せば、日蓮正宗が「御遺命の戒壇を建てない」とは一言も発してないことは明らかです。
顕正会は日蓮正宗が御遺命の国立戒壇を捨てて曲がってしまった。国立戒壇を目指して戦っているのは自分達であるとしています。
対して、繰り返して記しますが、日蓮正宗が国立戒壇の名称は使用しないことにしただけであり、広宣流布の暁には、御遺命の戒壇は建立する。つまり御遺命の戒壇を捨ててはいないのです。
本家本元は日蓮正宗であることは、明らかです。それならば、自分の目で事実を確認する勇気くらい持ってほしいものです。