中には、ことも有ろうか日蓮正宗から顕正会に移った人の話も出てきます。今回取り上げるのは平成27年4月5日号の顕正新聞に載った三月度総幹部会の登壇からです。
この方、昭和31年に創価学会に入会し、破門後脱会、そして、一昨年日蓮正宗に入信するも、昨年脱講し顕正会に入ってしまったとのこと。
この記事のタイトルが
「顕正会なら広宣流布できる!」男子部大会特集号に感動し入会
って大げさなタイトルです。大体、広宣流布って何を広宣流布するんでしょうか?
日達上人様は「日蓮正宗の教義でないものが一閻浮提 に広がっても、それは広宣流布とは言えないのであります」(達全2-6-295頁)と仰せです。
顕正会員は三大秘法を広めていると思っているでしょうが、顕正会の信仰は本門戒壇の大御本尊様に対する正しい信仰でありません。簡略勤行。塔婆否定。御開扉否定。子供だましの邪義であることは明確です。
本文に戻ります。この方、昭和31年に日蓮正宗創価学会に入会、正本堂建立が始まると同時に選挙活動一辺倒になった学会活動。そして、「国立戒壇」とは誰も言わなくなったことに不信を持ちます。また、財務に対しても疑問を感じます。創価学会が破門されると同時に創価学会を離れます。
一昨年、日蓮正宗の折伏を受け、日蓮正宗に帰依します。日蓮正宗に帰依してから、8人の方を折伏しましたが、「宗門は年寄りばかりで活気がなく、これでは広宣流布できない」と思っていたとのこと。そんなおり、顕正会から折伏され、平成16年の諫暁書及び男子部大会特集号の顕正新聞を見て、顕正会が本物だと確信し、顕正会に入会してしまいます。
顕正会に入会後、日蓮正宗寺院に御本尊様を返却します。その際、御住職様から、「大坊棟札は偽物だ。天生原は嘘だ」と言われており、その他浅井会長の誹謗する発言があったと記しています。それに対し、次のように本文には記してます。「そのあまりの無道心に私はただ呆れ『国主この法を立てらるれば・・・』とあって、「国立」だと歴代上人も仰っているのだから、国立なんだよ!」と堂々と諫め、きっばりと御本尊を返納し、清々しい思いになりました。」
この後は、顕正会の弘通の凄さだとか、功徳とかについて書いています。
一言、この方、基礎教学がないですね。創価学会や顕正会といった異流義団体の何が誤っているかということは、少し学習すれば判ることです。ましてや、大白法を読んでいれば、顕正会が異流義団体であり、誤っていることは明確に理解できます。慧妙では創価学会だけでなく顕正会の破折記事が書かれています。そして、法華講が年寄の集まりだと思い疑問を持ったようですが、どんな状況であれ、法を求めることを優先すべきです。法の正邪を人の集まりである組織や非相伝の指導者を根拠にしてはいけません。「依法不依人」の精神が大切です。退転してしまう人は何がきっかけであれ、この精神を忘れていることが原因です。
組織に問題があったとしても、それは自分達で解決すべき課題だと認識すべきです。若い人が少ないって、平日の昼間の行事参加者のことなら当然のことですし、それが事実だとしたら、若い人が集まるようにと考えてくことを優先すべきです。
新池御書や草木成仏口決、木絵二像開眼之事等々の御書を少しでも読んでいれば、顕正会が正しいなんて考える訳ありません。自分の感情を優先してしまうと魔にさらわれます。
そして、御住職様とのやり取りですが、どのように破折されたか、全く書いてないので、分かりませんが、顕正会の言い分を言い切ったというひとだけは判ります。言い切れば良いなんて法門はありません。
どうせなら、細かいやり取りを三証を交えながら示して欲しいものです。
【補足】
・大坊棟札が贋作です。大坊棟札については、日興上人様の時代のものとされていますが、日興上人様の興の字が間違っており、字体が江戸時代のものであることが判っています。
・浅井会長は大石寺から「東へ4kmの天生原」と言っています。また、「天母山」という言葉も使っていることから、天母山が戒壇建立の地としていると考えて良いはずです。天母山は寸地であり、いくら頑張っても戒壇建立は不可能です。是非、天母山を訪ねて欲しいものです。