サム氏の元妙信講問題について(その6):昭和47年の訓諭へのコメントに対する破折文の第一弾です。
創価学会が大聖人直結と言いながら、敵対視している日蓮正宗の第二十六世 日寛上人様の認められた御本尊様をコピーしたものを拝んでいるという矛盾に対して問いてたところ、サム氏が次の様に回答してくださっています。
>【質問】創価学会は大聖人直結と言っています。それなら、なぜ日蓮正宗の第26世日寛上人様の御本尊をコピーしたものを拝んでいるのですか?
○その通り、創価学会は大聖人直結です。だからこそ、絶待妙の立場から、大聖人の御心を伝持されている日寛上人書写の御本尊をお形木にしているのです。宗門の歴史において、素晴らしい方々も多くおられて令法久住の為に修行されてきたと信伏随従する思いです。
絶待妙:相待妙に対する言葉で、最も高い処から全てのものを包含して用いていく立場を言います。
大聖人直結なら自分達で独自に本尊を作れば良いはずですが、サム氏の回答だと日蓮正宗の歴代御法主上人猊下様の中で学会が認めた人の御本尊なら良いというように読めますね。「文証等は示さずに自分の意見だけを言う。」ってところは学会員らしいです。
日蓮正宗の教学からすると、いきなり大謗法を認めたことになります。大聖人直結について、日興上人様が佐渡の信徒たちに対して明確に謗法だと仰っています。
「聖人の御のちも、末の弟子どもが、誰は聖人の直の御弟子と申す輩多く候。これらの人謗法にて候也」(歴然1-184)
自分達が僧宝だと言っている日興上人様の御指南に違背していることは明確です。
「大聖人の御心を伝持されている日寛上人」と言われていますが、日寛上人様は大聖人直結とは言われていません。日寛上人様は大聖人様の仏法の全てを何方から受け継いだのか、このことについて日寛上人様は次のように御説法されています。
「蓮祖の御心寧ろ謗法の処に住せんや、故に彼の山を去り遂に富山に移り、倍先師の旧業を継ぎ更に一塵の汚れ有ること無し。而して後、法を日目に付し、日目亦日道に付す、今に至るまで四百余年の間一器の水を一器に移すが如く清浄の法水断絶せしむる事無し、蓮師の心月豈此に移らざらんや、是の故に御心今は富山に住したもうなり」(文底秘沈抄 第二)
この御文からしても、どなたが優れているなんて、在家信者がとやかく言えることではありません。「絶待妙」という表現することは慢心していなければできません。歴代御法主上人猊下様は御相承に関しての全てを正しく受け継がれており、何も余分なものはないんです。日達上人様の御説法でもありましたが、「時代性をかんがみ、血脈の上から御指南してくださっている」、この点についてはどの御法主上人猊下様も同じだと思います。
日寛上人様は明確に大聖人様→日興上人様→日目上人様→日道上人様→・・・・→日宥上人様→日寛上人様の血脈があり、歴代の御法主上人様から大聖人様の仏法を相承されていることを示されているんです。繰り返しますが日寛上人様は大聖人直結なんて言葉を言っていないのは明確です。
サム氏は日寛上人様以前の血脈相承についても、否定されている立場なのは過去のコメントでも明確です。日寛上人様より以前の御法主上人猊下様への血脈相承を否定してしまっている時点で、サム氏の「伝持されている」という言葉は日寛上人様の御言葉と矛盾することになります。
そして、学会で浄園寺の御本尊様をコピーして使うと決めた経緯については、「民衆勝利の凱歌(第三文明社)」の150頁に次のように記載されています。
1993年6月、大聖人違背の日顕宗から離脱した僧侶より、以下の通り、御本尊に関する「申出書」が、学会本部なに寄せられた。
「広宣流布への信心を貫いている創価学会の皆様こそ、真に一閻浮提総与の大御本尊を拝する資格を持った正者と求道の方々であると確信するのであります。(中略)私は、開基六百九十年の古刹・当浄園寺に御宝物として所蔵しております、二十六世日寛上人御書写(享保五年)の由緒ある『御本尊』を学会員の皆様にお型木御本尊として授与していただくことが、裁良最善の道であり、大聖人様が最も喜びになられると確信するに至った次第であります。
この旨、日蓮正宗改革同盟の同志にも諮り、全員の賛同を得ることができましたので、ここに貴会に対して願い出るものであります。」
(中略)
その日寛上人が享保5年に書写された御本尊を「御形木御本尊」(御本尊を版木に刻み、あるいは写真製版等して印刷された御本尊)として、ぜひとも学会員に授与していただきたい旨の「申し出」であった。
「改革同盟」「青年僧侶改革同盟」の総意による真心あふれる提案を受けて、93年(平成5年)9月、学会として日寛上人御書写の「御形木御本尊」を、全世界の会員に授与していくことを決議するに至った。
改革同盟・青年僧侶革命同盟というのは、日蓮正宗を離脱した僧侶や他宗派の僧侶の集まりであり、実質的には日蓮正宗とは全く関係ありません。浄園寺より提供があった御本尊様をこれらの僧侶(らしき人)のお墨付きをもらって学会が使うことにしたんですね。もし、浄園寺の御本尊様が他の上人様の認めたものでも、そのまま使用することにしていたはずです。
経緯を見ても、創価学会の日寛上人様の御本尊をコピーしたものは、創価学会が独自に作りだしたものであり、戸田城聖氏の指導に反していることは明確です。
「御本尊だけは、われわれは作るわけにはゆかない。日蓮大聖人様のお悟り、唯授一人、代々の法主猊下以外にはどうしょうもない。だから、仏立宗や身延のヤツラが書いた本尊なんていうものはね、ぜんぜん力がない。ニセですから、力がぜんぜんない。むしろ、魔性が入っている。魔性の力が入っている」 『大白蓮華』昭和34年7月号
日蓮正宗では御本尊様に関する権能は全て御法主上人猊下様が有しており、書写・開眼供養・授与は御法主上人猊下様の認めが必要です。それがない本尊は本門戒壇の大御本尊様との血脈が切れてた本尊であり、いくら拝んでも功徳を得る事はできません。
「血脈並びに本尊の大事は日蓮嫡々座主伝法の書、塔中相承の稟承唯授一人の血脈なり。」(本因妙抄)
戸田城聖氏はこのことを強く信じていたんです。
創価学会は日蓮正宗とは現在は全く関係のない団体です。大聖人直結というなら、日蓮正宗の第26世の日寛上人様の御本尊様をコピーしたもではなく、学会独自で本尊を作るのが本当だと思います。(それはそれで、魔の巣窟 ニセ本尊であり、謗法行為には変わりありませんが・・・)
日蓮正宗の歴代御法主上人猊下様の恩名でなく、そこに「池田 大作」と書かれた御本尊を拝むことができるか、考えてみてほしいです。血脈・開眼供養を否定している創価学会の著書による理屈だと、血脈相承されていない俗でしかない池田大作氏の本尊でも大丈夫だということになりはしませんか。
「諸宗は本尊にまどえり」(開目抄)
創価学会の現在の姿だと思います。