以前、セロリさんから頂いた資料の中に「元妙信講問題について」というものがあります。この資料は非売品で貴重なものです。内容としては、妙信講つまりは顕正会が破門された経緯やその本質が分かる資料です。この資料を参考にしながら、顕正会ならび浅井会長の体質について、思ったことをシリーズ化して記していきたいと思います。
「一.元妙信講問題の経緯」の「1.はじめに-浅井父子と妙信講」という最初の部分についての私見を述べたいと思います。
ここでの内容は次のような内容となっています。
浅井甚兵衛氏は当初妙光寺に所属していました。ここで事業の失敗で夜逃げを繰り返していたそうです。折伏親の移籍に伴い、妙光院に移籍しましたが、御住職様の言うことを聞かず、勝手に妙光寺に戻ります。そこで、同志を募り妙信講を旗揚げします。妙光寺で権力が得られないため、法道院に移ります。そこでも、自己の勢力拡大のための行動をしていたそうです。また、息子である昭衛氏も成長とともに父親譲りの権力欲、野心をも成長させてしまいます。
ここで、法道院の御住職様が騙されている講員のことも考え、日淳上人様にとりなして頂いて、妙縁寺に妙信講を移籍させます。この時、指導教師は法道院の御住職様と松本日仁氏の御二方が指導教師になりますが、松本日仁氏のみが指導教師になったと講中には知らせ、僧侶や宗門から隔離します。
そして、浅井父子は自己の神格化につとめ、邪魔になる法道院以来の有力指導者を落として入れ、排除し独立体制を構築します。また、「相伝」を知っているとも嘯いていました。
これを見て感じたのは、
・本来、信仰の場である寺院を自己の権力拡大のためだけに利用している。
・夜逃げを繰り返すといことから、元来無責任なところがあった。
・邪魔者は排除している、今の顕正会の原型を見ることができる。
といったところです。
法華経は正直の人の法であり、難信難解なんです。求道心を持つことが凄い大事です。それがないと正しい信仰から足を踏み外します。
顕正会という異流義団体が発生したのも、この部分だけでも必然であったと言えると思います。