創価学会・顕正会の人達は彼らの絶対の指導者をただ盲信しているだけなんです。「盲信」とはわけもわからず、ただひたすらに信じること。先生を信じる理由は、先輩に言われたからとか、みんなが言っているからといったものです。事実、顕正会がおかしいと思った方がY理事に質問したところ、「浅井を信じろ」の一辺倒だったそうです。正に理由なく信じなさいと言っています。
日蓮正宗の信仰の源はいうまでもなく、本門戒壇の大御本尊様です。それには御法主上人猊下様の御指南に従うことが大切なんです。この理由、大聖人様の御書で説明できるんです。決して盲信ではない、ちゃんとした道理があるということです。
「三大秘法其の体如何。答ふ、予が己心の大事之に如かず。」(三大秘法抄)
「日蓮一期の弘法、白蓮阿闍梨日興に之を付嘱す、本門弘通の大導師たるべきなり。国主此の法を立てらるれば、富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり。時を待つべきのみ。事の戒法と謂ふは是なり。就中我が門弟ら此の状を守るべきなり。弘安五年九月 日 日 蓮 花 押 血脈の次第 日蓮日興」(一期弘法付嘱書)
「この経は相伝に有らざれば知り難し」(一代聖教大意)
「此の血脈並に本尊の大事は日蓮嫡嫡座主伝法の書、塔中相承の稟承・唯授一人の血脈なり」(本因妙抄)
「上行已下並に末弟等異論無く尽未来際に至るまで予が存日の如く日興嫡嫡付法の上人を以て惣貫首と仰ぐ可き者なり」(百六箇抄)
これらの御文を素直に拝せば、血脈附法の御正師であられる御法主上人猊下様の御指南の大事が理解できます。御法主上人猊下様は日蓮大聖人様の御心、即ち仏の御心を一番理解している方なのです。御指南をしっかり理解した上で、実践していく。このことが、本門戒壇の大御本尊様への信仰なんだと思います。
これも、まだまだ、表面的なところだと思います。しっかり自行化他の信心をしていけば、もっともっと深い部分の理解ができるんだと思います。これで良いと思ったら、慢心が出て池田・浅井さんのようになってしまうかもしれません。 「求道心」を常に持っていないといけません。
かつての池田大作名誉会長の指導です。
日蓮宗身延派にあっても、南無妙法蓮華経の題目を唱えている。御書もある(中略)外見からみればわれわれと同じように見えるが、それらには唯授一人の法水写瓶の血脈がない。法水写瓶の血脈相承にのっとった信心でなければ、いかなる御本尊を持つも無益であり、功徳はないのである(広布と人生を語る 8-228ページ)
それから、浅井会長。
日蓮正宗にしかない「唯授一人の血脈」とは法体相承のことなのです。法体相承の「法体」とは、まさしく本門戒壇の大御本尊の御事であられる。ゆえに日興上人から日目上人への付嘱書に「日興が身に宛て給わるところの弘安二年の大御本尊、日目に之を相伝す」とあるのです。そしてこの戒壇の大御本尊の付嘱相承に付随して、『金口の血脈相承」というのがある。この「法体付嘱・金口血脈」こそが、正系門家・大石寺にのみ伝わる「唯授一人の血脈相承」なのです。(顕正新聞 平成5年1月5日号)
戸田会長の御言葉です。
「前に言っていたことと、今言っていることが違う宗教は、邪宗である」
(ウィキペディア 戸田城聖語録より)
我々の大先輩である戸田城聖氏の仰っている通り、創価学会・顕正会は過去と違う発言をしている邪宗に他なりません。ましてや、仏法の根幹たる血脈相承を否定している。
大石寺を怨嫉する要法事の謗法貫頭と同じ論法で、この「唯授一人の血脈相承」を否定しているんだ。まさに仏法の命脈を断たんとする魔の所行といわねばならない。(顕正新聞 平成5年1月5日号)
浅井さん、昔は正しいこと言っていたんですね。