近くの公会堂で金澤翔子さんの揮毫とお母さんの講演があり、行ってきました。

ダウン症の書家として、ご活躍の方です。

舞台の右のほうで翔子さんが書き、おかあさんがときどき墨を拭きます。

後ろの人が撮影している画像が後ろのスクリーンに映し出されます。

大きな筆で全身で書いたのは

「笑顔」

笑の●●がわんこのお目目みたいでかわいい。

左側の女性のうち、真ん中がおかあさん、右側が翔子さん。

そして、おかあさんの講演。

 

おかあさんが、初めに語ったのは翔子さんが壇上で使っている墨をいれている大きな器のこと。

輪島塗とのこと。

この輪島塗の工房の奥さんは翔子さんのことが大好きで、4年もかけてこの器を作ってくださったそうです。

(作ったのは職人さんでしょうが。)

2007年に輪島地震に遭い、再建できるかどうかと危ぶまれるほどだったが、昨年の12月末、その時の負債を完済した、という連絡をいただいたばかりだったのに、1月1日にあの大地震で、街が焼けてしまった・・・。

というお話から始まりました。

私はすっかりその2007年の地震のことは忘れていました。

今、検索したら大きな地震があったのでした・・・。

「私もできるだけのことはするつもりですが、皆様も被災地のために・・・」と。

・・・

話がそれてしまいました。

 

翔子さんがダウン症だと知らされたときの、死をも考えた絶望から、子育ての頃の話、今の話、ユーモアも含めながら、とても心に沁みるお話でした。

最後に翔子さんがダンスを披露してくれ、大拍手。

貴重なお話でした。