山口惠以子さんは、ずっと物書きになりたかったそうです。
工場経営者の末っ子長女に生まれ、10歳から日本舞踊を習うくらいにはお金持ちで、早稲田大学に合格するレベルに頭も良かった。
母親の愛と父親の経済力の恩恵を一身に受けて、ある意味挫折知らずに好きな道を突き進んできた。(婚活やいろいろはあるものの)
〝物書きになる〟との思いで、正規社員や結婚には目もくれなかったが、さすがに将来への不安で33歳?から婚活を始める。
しかし、彼とならと思う人には断られ、やーだと思う人からしか申し込みは来なかった。
30歳過ぎの女性の結婚相談所アルアルである。
45回のお見合いをしたが、40歳できっぱりと足を洗った。
父親の死で経済不安を覚え、40歳で正規社員で年金有りのAM5:00から5時間勤務の企業食堂のおばちゃんに就職する。
空きの時間で小説を書き続けた。
継続は力なり、である。
初めての受賞「松本清張賞」は、55歳と言う。
何か【20年かけて、東大に合格しました】というフレーズが浮かんだ。
いいではないですか。
彼女は、生涯の思いを遂げたのです。
若い時からの特別な才能がなくても、強い思いと必要程度の能力があれば、時間さえかければ目的は達成されるのですね。
大抵の人は結婚やら子育てやらを選び、好きなことは趣味程度に落ち着く。
これもまた、一つの人生です。