https://gendai.ismedia.jp/articles/-/74950?page=2
元海自特殊部隊員が語る「尖閣諸島、北朝鮮以上の、この国の危機」
最前線の自衛官は国のために死ねるのか
近藤 大介, 伊藤祐靖
「国家理念」を持たない国
近藤: 『邦人奪還』の中で、とても象徴的なシーンがあります。第3章で、北朝鮮で生存しているという6人の日本人拉致被害者の奪還作戦を実行するための会議が、深夜に首相官邸で開かれる場面です。
北朝鮮への自衛隊派遣をお気軽に考えている首相や官房長官に、主人公である海上自衛隊特別警備隊第3小隊長の藤井義貴3佐が迫ります(以下、書籍からの引用部分は抜粋の上編集した)。
「武力を使うのであれば、必ず何かを失います。よく政治家の方は、選挙は命懸けとかなんとかおっしゃいますが、そういう比喩ではないですよ。本当の死です。
なぜ、犠牲を払ってでも救出するとお決めになったんですか。まさか、党のためとか、政権のためとか、どこかの大統領に言われたとかでは……」
こういった言葉で会議は緊迫しますが、最後は、藤井3佐が唯一、尊敬する陸上自衛隊特殊作戦群長の天道剣一1佐が諫めます。
「結論から申し上げれば、『我が国の国家理念を貫くため』です。これ以外のはずがないのです。なぜなら軍事作戦は、国家がその発動を決意し、国家がその発動を命じて初めて行われるものだからです」
まさに迫真のシーンですね。
伊藤: あのシーンは、どうしてもこだわりがあった部分でした。この小説自体、一言で言うと、「国家理念」がはっきり定まっていないと困る人たちの物語なんです。
政治家は、「国民の生命と財産を守る」とよくおっしゃいます。もちろん、それは非常に大切ですが、それがすべてかというと、私は違うと思っています。もし、国民の生命と財産よりも優先すべきものはない、というのであれば、この小説に出てくる作戦(6名を救出するために、より多くの生命を失う、損耗の可能性を前提に自衛隊を投入すること)は、決してやってはいけないことになります。
でも、お読みになったら、簡単に否定はできないと思うんです。同意はできずとも、悩み迷うにしても、バカバカしいと一言で済ませられる方はどこにもいないのではないでしょうか。
近藤: 続くシーンも印象的です。奪還作戦の決行が決まり、藤井小隊長が部下たちに説明する。その時、部下の一人が、「もしも敵の捕虜になったらどうなるのか」と質問する。それに対する藤井小隊長の答えは、ズシリと来ます。
「自衛官は、捕虜にはならない。なれないんだよ。日本に軍隊はないと憲法で宣言しているよな。だから軍人は存在しない。軍人じゃない人間は捕虜にはなれない。
軍人は、自国が定めた軍法で権利と義務が規定され、それによって裁かれる。この軍法がないというのは、とんでもない話なんだ。別の視点で見れば、日本は恐ろしい国だよ」
沈黙する隊員たちに、藤井小隊長が説きます。
「俺たちは軍人としての権利は主張できず、命令に従うという義務のみを果たさなければならない。それが俺たち自衛官の宿命だ」
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では、日本国民はどう考えているか?
拉致被害者救出のために、「特殊作戦群に行ってもらう」という議論があります。
私は反対です。
余りに無謀だから。
おそらくは作戦を実行しても誰一人帰ってこれないと思うから。
それでも得られるものはある。
「あの日本が帰ってきた」、と世界は認識するでしょう。
災害などでの人命救助では救助する側の被害を考慮して延期や中止もあり得ますが、自衛隊は「行け!」と命令されれば自分の命がなくなると分かっていても「行く」。
その志に尊敬も感謝もしなくていいんでしょうか?
それで自衛隊員だけに「やれ!やれ!」と言うのはおかしい。
拉致被害者でも島一つでも同じ。
「そんなもののために戦争になってはかなわない」と言う。
自分の損得勘定だけをする。
だから舐められる。
私は特殊部隊だけに犠牲を強いるより、国民一人一人が「戦争も辞さない」覚悟が必要なのではないかと思います。
そのためには今のままの憲法や防衛費のままでよいはずがない。
無謀はいけない。しかし、戦う前に負けてはいけない。。
とか言っている間に、朝鮮半島情勢が悪化することになるかもしれませんけど。。。